KOYAMAIKE RESEARCH CENTER
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錦織 勤 先生  鳥取大学地域学部 地域環境学科 
始めに

天神山城の実像

卯山地区の位置付け

a、卯山地区は天神山城の一部か?

ア)卯山周辺の遺構

削平地と卯山の周囲の堀⇒卯山にも城郭があったように見える、天神山城の一画を占めていたとする説。

イ)江戸時代の絵図

『寛文大図』(倉田八幡宮所蔵の絵図、寛文年間(1661〜73)のもの)
『因幡民談記』(元禄元年ごろ:1688)

ウ)一般には、卯山地区は城下町と考えられてきた、城の中心は天神山地区にあったと考えられている。

←卯山の遺構は城の中心部のものとしては、未熟すぎる
←「民談記」の絵図などは、卯山地区に町屋があったことなどを記す

工)卯山の周りの堀は総構の堀と理解されている

 総構とは、城の周りに展開する城下町を包摂するように廻らされた堀や土塁、それは結果として城を取り囲む最も外側の堀・土塁になる。

オ)しかし、卯山地区と天神山地区は有機的に結びついていない

 構口(大手口)の位置は、卯山の周りの堀とは関わりが薄い⇒宇山の周辺の堀は、天神山城を取り囲む総構とは言い難い。
 卯山地区と天神山地区は、基本的には有機的な関わりを欠いている。

卯山の歴史的意味

ア)寛文犬図、民談記の図

寺院が数多くあったことが記されている
これは天神山城築城以前からあった
1)仙林寺の鐘−−仙林寺の存在については仙林寺合戦
2)江戸時代の地誌
『因幡志』:「谷々には九院の仏閣〈功徳院古学院勝禅院仙林寺以下五院名伝らす>甍を並へ建てり」(469頁)
「寛政四年七月当所新羅山にて経塚を発きて法華経全部掘出せり(中略)
願主は布施の仙林寺の僧也、年号貞応三年とあれば」(427頁)

貞応3年:1224年、寛政4年=1792年

『因幡民談記』:鹿野幸盛寺鐘銘「因州高草郡於仙林寺、一結衆、明応六年丁巳五月三日」(317頁)

明応6年=1497年

イ)それとともに商業地区であったらしい

1)「本福寺門徒記」=戦国後期の状況
「たかしま舟木北はまの左衛門五郎(中略)その左衛門五郎の子(中略)いなばのみそのくち左衛門五郎を官途して、五郎衛門といふ、その弟近藤といふ、官途して三郎衛門といふ、いなはのふせのにうわう堂のあたりにあり」

2)江戸時代の絵図
卯山の麓に湖山池から水路=舟入の記載=湖山川から日本海の海運に通じる、古くから門前町として栄えていたらしい
ウ)天神山城に築城した理由に、商業地としての卯山地区に近隣という事情


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