鹿野らしい美しい街なみの形成をめざして
 
   戦国時代末期の武将、亀井茲矩の居城(鹿野城)の麓に広がる城下町として発展した鹿野は、中世から軍事上・交通上の拠点となり、二代目亀井政矩が元和3年(1617年)に津和野に移封されるまで栄えました。街中の幸盛寺には「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」の名言を残し、茲矩とともに毛利軍と戦った山中鹿助の墓もあります。
 現在も城跡や狭く折れ曲がった道、切妻家屋、格子戸など城下町としての風情を感じる地域であり、神社・仏閣も数多く点在しています。
 また城下町を構成する8つの町内会は、400年の伝統を誇る鹿野祭り(鳥取県無形民俗文化財)を毎年4月(近年は隔年開催)に行っており、城下町通りの紺屋町、上町、下町、山根町、大工町の間を榊、御輿、幟差し、4台の屋台などが、1日かけておごそかに練り歩きます。
 城下町地域の街なみ整備・保存運動は平成6年度から始まり、平成16年度で11年が経過しました。この間、住民・行政ともに試行錯誤を重ねながら取り組みを進め、伝統的な鹿野の街なみ景観が姿をあらわしてきました。これからの10年は今までの実績を基にしながら、住民のみなさんが誇りに感じ、多くの人々が訪れるレベルの高い街なみづくりを推進する段階となります。
 この景観ガイドラインは、平成8年度に指針として策定したものを、その後の取り組みの過程で課題となったものや実績などを加え、さらに平成16年11月の合併による新鳥取市誕生をふまえて改訂し、街なみ整備・保存の具体的手法について提案しています。
 この冊子を、城下町らしい美しい街なみの再現・創出と、住民のみなさんが誇りを持って心豊かに暮らせるまちづくりにお役立ていただければ幸いです。

 平成17年3月
 
   
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