このページではJavaScriptを使用しています。

村尾草樹句碑

村尾草樹句碑

 大正三年兵庫県豊岡市に生まれる。本名重夫。昭和八年層雲に入会し、層雲大阪支部「第二日曜」、また昭和十五年「新俳句」の編集同人となり、戦場俳句で独自の句作を披瀝した。戦後鳥取に移住して俳誌「みづうみ」「風紋」を編集発行。自由律俳句の異才として知られ、句文集「波と水仙」、合同句集「嶺」がある。
 また文芸研究でも特異な才能を発揮し、著書に「放哉そのすべて」「生きている寒樓」「砂と人と風紋と」「点と空白」、また県内の石碑を探訪し、掘り起こして「鳥取の石ぶみ文学史」を世に送った。
 晩年は鳥取県歌人会、鳥取文芸協会、市文化団体協議会などの要職をつとめ、文化振興に多大な貢献をした。昭和五十年代、用瀬のグループに俳画の指導をして親しまれた。昭和五十八年没。

【建立場所】農免農道GBコート付近
【建立年月】昭和六十三年(一九八八)四月
【建 立 者】用瀬文学碑建設の会
【揮 亳 者】自筆
【寸 法】高さ九〇 横幅一一七 厚さ四三cm



質問:このページの内容は参考になりましたか?
質問:このページの内容はわかりやすかったですか?
質問:このページは見つけやすかったですか?
質問:このページはどのようにしてたどり着きましたか?
-お問い合わせ-
用瀬町総合支所 地域振興課
電話0858-87-2111
FAX0858-87-2270
メールアドレスmc-chiiki@city.tottori.lg.jp