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種田山頭火句碑

種田山頭火句碑

 この句は高千穂で読んだものといわれるが、用瀬に持ってきてもよく似合う。明治十五年山口県西佐波令村(現防府市)に生まれる。大地主であったが、文学と酒好きと父の道楽があいまって破産。妻子とともに熊本に移った。しかし酒の上での奇行がおさまらず、四十四才で出家し、九州四国はおろか遠く信濃路、北陸路まで行乞の旅を続け、終始自分の苦悩心情を吐き出す独特の俳句を詠みつづけ漂白の俳聖、昭和の芭蕉と呼ばれている。漂白の旅をつづった行乞日記の昭和二,三年頃を、なぜか破り焼き捨てたので、山陰路での記録がなく、山陰には来訪していないだろうと長い間言われていたが、昭和三年本町馬橋に立ち寄り、自筆のこの句を森田家に残していたことが明らかになった。
 防府山頭火研究会の資料によれば、本庁の碑は全国で四十五番目の建立であるという。近年ますます人気が高まっている。

【建立場所】用瀬町県立図書館前庭
【建立年月】昭和五十九年(一九八四)四月
【建 立 者】用瀬文学碑建設の会
【揮 亳 者】自筆
【寸 法】高さ八六 横幅一〇七 厚さ五九cm



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