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山中鹿介と幸盛寺

山中鹿介と幸盛寺


山中鹿介公の墓
山中幸盛(鹿介)の墓【場所:幸盛寺】



忠義一途の勇将・山中鹿介
  戦国時代、下剋上の世にあって一貫して主君尼子氏のために命を掛けて戦った武将が山中鹿介(幸盛)です。

  鹿介は、中国地方の有力者毛利氏との争いに敗れた尼子氏を再興するため、近畿、中国地方の各地で転戦しますが、ついには播磨の国の上月城に追い詰められ、捕われの身となり、備中高梁川の渡し場で斬殺されました。

  鹿野城主・亀井茲矩は、鹿介の養女・時子を妻とし、血縁深く、共に戦場を駆け巡った間柄でした。

  鹿野城主となった茲矩は、家臣団を備中高梁川に派遣し、鹿介の遺骨を鹿野に持ち帰らせ、霊を慰めるため寺と墓を建てました。寺の名は鹿介の別名・幸盛(ゆきもり)から「幸盛寺(こうせいじ)」と名づけられました。

  幸盛寺には、鹿介の墓が建てられた時期に植えられたイチョウの木があり、現在では樹齢400年を超え、高さは40m近い巨木となっています。  
 


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