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町内史跡探訪

町内史跡探訪

鹿野城跡公園 亀井茲矩公の居城跡で、春には満開の桜を楽しめます。
亀井茲矩公の墓 海外に想いをはせた鹿野城主 亀井茲矩公のお墓です。
山中幸盛公の墓 戦国時代を駆け抜けた忠勇の武将 山中幸盛(鹿介)のお墓です。
小式部内待産湯の井戸 百人一首の歌人 小式部内待産湯の井戸跡です。


■鹿野城跡公園■

春の城跡公園

春の城跡公園

  鹿野城主亀井茲矩(かめいこれのり)公の居城跡で、現在は公園として整備されています。

  奥にそびえる城山の山頂にある館の柱跡の石と、公園内の内堀、外堀の石垣が当時の面影を今に伝えています。

  公園内には500本以上の桜の木が植えられ、春には多くの花見客でにぎわいます。

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■亀井茲矩公の墓■
亀井茲矩公の墓

亀井茲矩公の墓

  鹿野城主 亀井茲矩(かめいこれのり)公の墓は鹿野と気高の町境、明星ヶ鼻(気高町田仲)にあります。

 ここは鹿野を一望できる景勝地で、矩茲が青年時代をこの辺りで過ごした縁で墓地に定められたといわれています。

  墓には中山道月大居士との戒名が刻まれおり、海外進出を夢見たことをしのんでつけられた名だといわれています。(※中山道とは中国での琉球(沖縄)の別名です)

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■山中幸盛(鹿介)公の墓■
山中鹿介の墓(幸盛寺 下町)

山中幸盛公の墓

  戦国武将で「我に七難八苦を与えたまえ」の言葉で有名な山中幸盛[鹿介](やまなかゆきもり[しかのすけ])の墓は鹿野の城下町の中心に位置する幸盛(こうせい)寺にあります。

  幸盛寺は亀井茲矩が義理の兄の幸盛を弔うために建立したもので、墓の隣には建立と同時期に植えられたイチョウの木があり、今では高さ34メートルを超える大木となっています。

  茲矩は鹿野城主となってすぐ、家臣に幸盛の遺骨や遺品を探させこちらに弔いました。ここからは茲矩と幸盛との深い友情を垣間見ることができます。
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■小式部内待 産湯の井戸跡■
小式部内待 産湯の井戸跡

小式部内待 産湯の井戸跡
  百人一首の歌人として有名な小式部内侍(こしきぶのないし)は鹿野町の水谷で生まれました。
  
  小式部内待の母で歌人の和泉式部(いずみしきぶ)は、小式部内待を妊娠したとき故郷の湖山(鳥取市)へ帰り、歌道の神様がまつられている水谷の住吉神社に十七日間参り続けました。そしてその満願の夜、かわいらしい天女のような女の子を産みました。

 その時産湯の水をくんだ井戸が現在も神社参道の少し西側に跡としてが残っています。


  大江山 いく野の道の 遠ふければ
                    まだふみを見ず 天の橋立
                         
                                               小式部内侍
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