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まちの概況・沿革

●概況

 青谷町の大部分は緑豊かな山地で、美しい滝や渓流が見られ,海岸線には、美しい砂浜と見渡す限りの青海原が広がっています。

 長尾岬や鳴り砂に代表される豊かな自然環境に恵まれ、因州和紙をはじめとした様々な産業や文化に彩られた町です。

 また、平成10年、青谷羽合道路建設の調査中に発掘された「青谷上寺地(かみじち)遺跡」は、日本初を含む多くのものが発掘され、まさに弥生時代の宝庫となっています。

 

●沿革

 青谷町に、人が住み始めたのは、土器や石皿、石斧などの出土から縄文時代と推測されています。さらに、「弥生の博物館」と言われている青谷上寺地遺跡からは、弥生時代中後期の護岸工事跡や祭り場跡が発見されています。

 かつて、現在の鳥取県は、東部の因幡国と西部の伯耆国とに分かれており、現在の青谷町は因幡国の気多郡に属し、日置郷と勝部郷に分かれていました。

 都からの「山陰道」が整えられ、因幡国内の主要駅「柏尾駅」が本町に設置されており、中世末には鹿野城主亀井茲矩が領地として治め、用水路と水田の整備を進めるとともに、青谷港は、命を受けた塩五郎太夫の「朱印船貿易」の本拠となってにぎわいました。

 明治4(1871)年の廃藩置県により鳥取県が誕生しました。明治10(1877)年に最初の合併が行われ、その後数度の改変を経て、明治21(1888)年の町村制の公布に併い、青谷村が誕生し、大正3(1914)年に町政を施行し青谷町となりました。

 昭和28(1953)年に、青谷町、日置谷村、勝部村、中郷村が合併し、さらに昭和30年には日置村を編入して現在の青谷町が誕生しました。当時は12,367人2,361世帯の規模でした。

 以後、昭和33(1958)年、中学校統合。昭和36(1961)年、商工会設立、農業協同組合統合、昭和40(1965)年、町営住宅第一号完成。昭和50(1975)年、因州和紙が国の伝統工芸品の指定。平成5(1993)年、あおや郷土館と新庁舎のオープン、平成13(2001)年、青谷上寺地遺跡展示館オープン、平成14(2002)年、あおや和紙工房オープン、平成16(2004)年11月鳥取県東部9市町村(鳥取市、国府町、福部村、河原町、用瀬町、佐治村、気高町、鹿野町、青谷町)の合併で鳥取市となったのが現在までの主な経緯です。

 



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