植田公平さんと平尾和彦さん

会長 植田(うえた)公平(こうへい)さん 世話役 平尾(ひらお)和彦(かずひこ)さん

シリーズ
元気です 143

踊と太鼓の共演で伝統芸能継承を
亀井踊保存会(かめいおどりほぞんかい)

人が集える自由な雰囲気を大事にしたい

緊張感走る練習風景

緊張感走る練習風景

真剣なまなざしは大人顔負けだ

真剣なまなざしは大人顔負けだ

年の瀬も押し迫った鹿野町農業者トレーニングセンターに太鼓の音が響きます。ドンドコ・ドンドコ・ドンドコと、まるで地響きのような振動が足元から体へ伝わり、しだいに鼓動の高まりを感じていきます。太鼓を打つのは、ここを拠点に活動する亀井踊保存会のみなさんです。月2回集まり、太鼓と踊りの練習に汗を流します。この日も4人の会員が集まり、師走の寒さを感じさせない熱気で太鼓の練習に励んでいました。

額ににじむ汗が、相当な運動量を物語ります。そして、4人の息がピタリと合う瞬間の妙味。激しいバチの競り合いが、最後の一打を合図に会場を元の静けさに戻します。やがて、4人の顔にも笑顔が戻り、練習も一息。練習中の緊張感走る表情とは対照的な和やかな空気が会場を包みます。

太鼓を指導するのは、会長の植田公平さんです。植田会長は言います。「太鼓には『道』がある」と。礼に始まり、礼に終わる、それが植田会長の太鼓道です。

しかし、会場は厳しさよりもむしろ自由な空気であふれています。見学にきた子どもたちが元気に会場を駆け回り、ときにはバチを手に取り、大人に交じって練習に参加します。真剣なまなざしは大人顔負けです。「若い人が集まらず、会が存続の危機にさらされたことは過去に何度もありました。伝統芸能の継承には、厳しさだけでなく、人が集い、楽しく続けられる自由な雰囲気が大事」と植田会長は言います。そんな、会長の想いを受け止めてか、今では鹿野町内だけでなく、町外からも多くの会員が練習に集まってきます。

伝統芸能継承の難しさ

亀井踊は、鹿野城主亀井茲矩(かめいこれのり)公が敵の城を攻めるとき、相手を油断させ、城から誘い出すために踊らせた踊りが始まりといわれています。以来400有余年、鹿野町で大切に継承されてきました。足元30~40センチほどの範囲をゆっくりと踊る優美な踊りで、昭和49年に鳥取県無形民俗文化財に指定。しかし、地味な踊りのためか若者に敬遠され、会は長年後継者不足に悩まされてきました。

このため、植田会長をはじめ、青年団有志が中心となり、昭和57年に保存会を設立。その後、さらに若者の参加を募ろうと、当時若者に人気のあった和太鼓を加えて活動の幅を広げました。和太鼓は、地味な踊りを見事に補うとともに、ブームにも後押しされ、会は植田会長の狙い通り、しだいに活気を取り戻していきました。

「まずは、太鼓から始めてもらいたい。そして、ゆくゆくは踊りを継承していってほしい」。これが、植田会長の狙いであり願いでもあるのです。

亀井踊と亀井太鼓の共演

歴史を越え、見事な調和を見せる
亀井踊と亀井太鼓の共演

亀井踊をまちの誇りに

生まれも育ちもお隣気高町の平尾和彦さんは、鹿野町内の事業所に勤務の傍ら、亀井踊の魅力に()かれ、今では会の世話役を務めています。平尾さんは言います。「亀井踊は、亀井公の歴史がわかる伝統芸能で、もっと多くの人に知ってもらいたい。まちの誇りにしていきたい」と。

平尾さんが会に入会したのは、平成24年に亀井公没後400年を記念した事業が鹿野町で開催されたことがきっかけでした。その後、平尾さんの声かけで若者が集まり、今では15人程度に。会員の増加とともに出演の依頼も増え、今では町内だけでなく、町外のイベントにも参加するようになりました。

植田会長は言います。「亀井踊はゆっくりとした踊りでごまかしが利かないので、きれいに踊るには指の先まで神経を使い、しっかりと踊り込まないといけない」と。出演の機会が増えるにつれ、伝統芸能を継承することの責任の重さを感じる平尾さんの指先には、自然と力が入ります。

「今後は、若い人だけでなく、年配の人にも踊りを広めていきたい」。植田会長と平尾さんの夢はふくらみます。

踊る人によっては、全く違う踊りに見えるといわれる亀井踊。その味わいは年を取らないと出せない、奥の深い踊りといわれています。それは、伝統を重んじ、ひたすら技に磨きをかけた人だけが到達する世界なのかもしれません。そんな、まだ見ぬ世界をめざす亀井踊保存会の活動はこれからも続きます。