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会長 土井康稔さん(どいやすとし)さん 事務局長 川上信温(かわかみのぶはる)さん

シリーズ
元気です 145

ブラジルで開花した
しゃんしゃん傘踊り
鳥取ブラジル友好協会

海を渡ったしゃんしゃん傘踊り

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ブラジル鳥取県人会連のしゃんしゃん傘踊り

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中堅リーダーの市長表敬(2014.2.4)

地球の反対側にある南米ブラジルで、しゃんしゃん傘踊が親しまれています。これは、戦前戦後を通じてブラジルに移住した鳥取県出身者で作るブラジル鳥取県人会と、市民などで作る鳥取ブラジル友好協会等の皆さんが、故郷の伝統芸能を現地で普及させようと尽力されているからです。

ブラジルでしゃんしゃん傘踊りが知られるようになったのは、昭和40年代に鳥取県が始めた農業青年の海外派遣事業で、団員がしゃんしゃん傘踊りを披露したことがきっかけといわれています。その後、本格的にしゃんしゃん傘踊りを覚えたいという機運が、ブラジル鳥取県人会を中心に盛り上がったそうです。

「ブラジルに移住された皆さんは、大変な苦労をされて今日があります。しゃんしゃん傘踊りが、皆さんの郷愁や鳥取への思いを呼び起こしたのでは」と話すのは、鳥取ブラジル友好協会会長の土井康稔さんです。土井さんは、現ブラジル鳥取県人会の本橋幹久(もとはしみきひさ)会長とは高校の同級生。友情は今も固い絆で会の運営を支え続けています。

鳥取大火の時の恩返し

平成8年、ブラジル鳥取県人会の役員が来鳥し、ブラジルで平成10年に開催の移民90周年を記念した日本祭で、しゃんしゃん傘踊りを披露するため、傘を寄贈してもらいたいと要請されました。70周年の時は山形の花笠音頭が、80周年の時は東京音頭が披露されたそうで、鳥取県と鳥取市は、郷土芸能をブラジルで披露する絶好の機会と捉え、しゃんしゃん傘500本を送ることを決定しました。

「傘を送るのはとても大変でした。しかし、鳥取大火の時には多額の義援金をいただいていましたので、恩返しの意味でもぜひ実現させたかった」と当時を振り返るのは会の事務局長を務める川上信温さんです。川上さんは当時、鳥取市の観光課に在職。東奔西走して事業の実現に漕ぎ着けたそうです。

ブラジル鳥取県人会は、昭和27年4月17日に発生した鳥取大火の復興を支援しようと、ブラジル在住の鳥取県出身者を中心に義援金が集められたことがきっかけで発足。以来、鳥取県出身者の交流の場として、また母県との各種交流事業の窓口として活動してきました。

一方、鳥取ブラジル友好協会は、ブラジルとの市民交流を支援する民間組織として平成7年に発足。鳥取県や鳥取市が行う交流事業で歓迎会を開催するなど、市民交流のお手伝いをしてきました。

しゃんしゃん傘踊りを日本の伝統芸能へ

平成20年6月にブラジルのサンパウロ市で日本移民100周年を記念した式典が開催されました。約4万人の観衆が集まる中披露された郷土芸能は、和太鼓、琉球舞踊などとともに、しゃんしゃん傘踊りで、鳥取から駆けつけた知事・市長等8人の踊り子を含む230人のブラジル鳥取県人会連が、サンパウロの夜空に壮大なしゃんしゃん傘の花を開花させました。

そして、翌平成21年の第45回鳥取しゃんしゃん祭に、ブラジル鳥取県人会連から11人が招待され、ブラジル仕込みのしゃんしゃん傘踊りを、見事に凱旋させました。これらの成功の背景には、海を渡った約800本のしゃんしゃん傘が長年活用され、しゃんしゃん傘踊りが、ブラジル日系人社会に親しみをもって受け入れられた証といっても過言ではありません。

「最近では、ブラジル国内はもとより、隣国のパラグアイなどに出向いてしゃんしゃん傘踊りを披露されていると聞いています。しゃんしゃん傘踊りは、南米各地で知られてきています」と土井さんは笑顔で話します。

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日本移民100 周年記念式典で230 人のしゃんしゃん傘踊りを披露

今年第50回を迎える鳥取しゃんしゃん祭

「今後は、しゃんしゃん傘を修復・修繕する技術の伝習と、部品や材料を供給する拠点をブラジルにつくりたい」。節目の年、川上さんは、長年の使用で痛んだしゃんしゃん傘を心配し、新たな挑戦に意欲を見せます。

鳥取ブラジル友好協会の会員は現在58人。会員のブラジルに対する熱い思いを一つにまとめ、今後も市民交流の輪を広げていきます。

皆さんの思いが実を結び、海を渡ったしゃんしゃん傘踊りが、日本を代表する郷土芸能として、さらなる飛躍を見せるのも、そう遠くない日のことでしょう。