天文セミナー 第205回

『星の風土記』



4.天の北国の物語2

 竜に狙われる母熊と子熊。そうはさせぬとばかりに、母熊は長い尻尾を振り回します。尻尾の先には、複眼のミザールが見張っていて竜は近づけません。このミザールは、開陽星と呼ばれて来ました。皆さんがよくご存じの北斗七星の第6番目の星ですね。

 北海道、知床半島の付け根の中標津町に「開陽台」という名前の台地があります。ここからは、根室半島や、遙かに国後やオホーツク海も見渡せます。「開陽」とは元来、未来への大きな希望と成功を祈念する言葉です。幕末に幕府がオランダより購入した軍艦に同じ名前「開陽丸」があります。オランダでの建造が進行中、幕府より艦名の指示を受けた榎本武揚が提案した「夜明け前:Voor lighter」を思い起こさせる「開陽」と決まり、箱館戦争で活躍しましたが、北海道江差沖で座礁し沈没。その後1975年に引き揚げて展示されているそうです。同じ名前を持つ星、すなわち開陽星が、大熊が振り回す尻尾で竜を見張っているのです。さて、この北の国の中心は帝。この帝を守護するのが北面の武士の役目。源平の両者がこの役割を務めてきたのがそれまでの朝廷。この役目の争奪戦とも言える戦いが源平の合戦と言えるかも知れません。天の帝を守のは天の北極を取り巻く紫微垣(しびえん)と、これを囲む太微垣(たいびえん)と天市垣(てんしえん)との二つの星の連なりです。昔から、彗星は凶兆の前触れとして忌み嫌われて来ました。彗星が現れると、神社仏閣ではご祈祷が行われ、朝廷でも各地の社寺にお祓いを行わせ平安を祈祷させていました。日本の彗星の記事として、巷にはあまり知られていないようですが奈良の法隆寺の壁面に昔の落書きが見つかり、そこに肺が見えたと書かれていました。この肺とは古語で彗星を孛と言いました。そして肺と孛は同じ発音でハイと読みました。この落書きによって孛を肺とも書くことが知られ、当時彗星が現れて巷で話題になったことをを知ることができました。

 ベーカーナン・シュミット・カメラが東京天文台に到着してからしばらく後のことです。天の北極近くを彗星が通過して周極星となる事が知られました。アメリカのスミソニアン天文台から、この彗星をベーカーナン・シュミット・カメラで撮影して映画に仕上げようという計画が発表されました。東京天文台でも、この計画に参加して、ベーカーナン・カメラの写野の長辺が彗星の尾の方向に向くようにセットして撮影したのです。東京天文台での写真撮影は成功し、空路アメリカに届けられました。アメリカでは、世界各地の12台のカメラによる写真を編集して映画を完成させて観測した観測所に届けました。シュミットカメラで撮影したフイルムは70mm幅でフイルムを送るための穴、パーフォレイションがありません。これを16mmの映画として編集。大変な努力を払って完成した映画を見て、彗星の移動が映画の動画として見られた事に感激したものでした。もっとも、この映画はフイルムも短く、上映時間も短かったことを覚えています。帝を守る天垣苑と紫微苑の二つ共に、役目を果たせなかったことになりますね。

 話は再び明治維新。その維新が成功したのは、いわゆる戊辰戦争での勝利です。昨年のNHK大河ドラマ「八重の桜」でお馴染み。この会津藩には、有名な白虎隊を始め、玄武、青龍、朱雀の隊が編成され、会津藩主を守る役目を担っていたのです。この4神は、古代の中国で考えられたいわゆる四方神で、北を玄武、東を青龍、南を朱雀、そして西を白虎としています。

 奈良の薬師寺。この大寺のご本尊は言うまでもなく薬師如来。立派な青銅の台座に坐しておわします。この台座の北、東、南、西の四面に、この四方神が彫刻されているのです。


2014年7月の星空

(ここをクリックすると大きな画像になります)
2014年7月の星空です

7月になりました。春の星たちは西の空低くなり、
東から頭の真上あたりは、夏の星たちで
いっぱいです。東の空で「夏の大三角」を探して
みましょう。3つの1等星でできる三角です。
東の空で一番明るい星が、頭の真上近くにある
ベガ(こと座)です。左斜め下の1等星がデネブ(はくちょう座)、
右下の1等星がアルタイル(わし座)です。
南の空にはさそり座が見えています。
1等星アンタレスが目印です。


次 回も、お楽しみに

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