天文セミナー 第202回

『星の風土記』



1.序

 風土記と言えば、先ず出雲風土記、播磨風土記などが挙げれれますね。今、私の手元に一冊の風土記「出雲風土記」があり、この解説によると「風土記」と言うのは各地の土地がらの記録で、一種の地方誌の意味で広くその地の地勢・土質や、そこに生育する植物・動物、そしてそこで営まれる風俗・習慣・伝承・行政の実態を含むもので、風土記と言う語は中国古代の用例にならったものだろう。と、書かれ日本各地に風土記を奉るように命ぜられたのは和銅6年(713)であるとされる。
 この制令によって諸国はみな風土記を撰進したはずだが、その中でほぼ冊子の形を今日に伝えているのは、和銅年間に次ぐ養老の撰進と考えられる常陸・播磨、そして天平5年の出雲、やや遅れて肥前・豊後の5カ国の風土記で、他は諸書に引用された40余国の断片だけである。と書かれている。今回。私はこの風土記にならって、星座風土記を書きたいと思っています。さて、この私が書く星座風土記はどのようなものになるのか、筆者にも皆目見当が着きません。できたとこ勝負で、各回はどうせ長短様々。皆さんのご批判を頂くことを期待して、筆の向くまま気の向くまま。一人旅を始めようと思います。
 皆さんが良くご承知のように、星空は星座と言う区分けで仕切られています。しかし、現在世界中で使われている星座の区分けは1928年の国際天文学連合の総会に決議で決められたもので、それまでは世界中で統一された区分けはありませんでした。もっとも、現在我々が使用している星座は、ギリシャ時代以前からの伝承などが元になりギリシャ神話とドッキングして、ギリシャからローマへ、さらにヨーロッパへと伝わって行ったものでした。この神話や伝説を源にする星座:constellation(英仏語)でこれは元意は星をちりばめたもので、con:一緒に+stella:星がその発祥です。
 さらに現在使用している星座と言う言葉は中国の古典で前漢時代の歴史家・司馬遷が書き残した「史記:しき」の中の「天官書:てんかんじょ」の中にあって、星座にも人間のように尊卑があるから「天官:てんかん:」と言うと述べて、星座にも尊卑があると考えていたようです。この考えは、中国古代の星座の名前と配置を見ると、なるほどとうなずけますが現在の私たちには中々理解しにくい考えです。
 長い年月の内には、多くの紆余曲折があったでしょう。この紆余曲折を経て、現在私たちが使っている星座が世界的に統一されて、星座と言えばギリシャ神話と誰でもが思ってしまうようになったのです。
 古代中国の星座の考えは何も特別なものではありませんでした。夜空に散在する星々を適当なグループに区分けするとき、どの星を選ぶかは全く自由で、さらに星々を見えない糸でどのように結び合わせるかも全く自由です。星の選び方や結び合わせ方も民族、地域によって非常に異なっていて、アレッと思うこともしばしばですが、それがかえって面白いものです。
 中国では、天子とは天の意志を天下に教え示す者、と言う考えがあり、これが現されたのが古代中国の星座で、二十八宿の考えの始まりでもありました。
 ギリシャ神話に由来するのは、黄道12宮。この考えと共にあったのが占星術。お話がどう展開していくか、気ままな旅を進めようと思いますので、どうぞ宜しく。


2014年4月の星空

(ここをクリックすると大きな画像になります)
2014年4月の星空です

4月になりました。西の空にひときわ明るい木星、そして
東の空には今月地球に最接近の火星が見えています。
火星の近くにあるおとめ座の一等星・スピカは
白く輝く星ですので、火星の赤さがより際立って
見えます。4月のもう一つの見どころは、2つの大三角です。
西空の冬の大三角と、東の空にある春の大三角を、
それぞれ結んでみましょう。どちらも近くに惑星がありますので、
お間違えなく。


次 回も、お楽しみに

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