天文セミナー 第200回

『星の歳時記』



32.如月

 願わくは 花の下にて 春死なん この如月の 望月の頃   西行法師

 上の歌は、西行法師が生前に詠んだとされ、「山家集」と「続古今和歌集」に見られます。この歌を詠んだ西行は、出家するまでは佐藤義清と称し北面武士として鳥羽上皇に仕えていたことが知られています。出家した後は全国を旅して過ごし、この歌の通り旧暦2月16日の死去したと伝えられ、ここで詠まれた花はもちろん山桜のことです。

 西行が奉仕した北面の武士とは、宮中で帝の北から南面する帝を守護するのが役目でした。そしてこの当時、北面の武士に任ぜられるのは大変に名誉なことと思われていて、あの源氏や平家も帝を守る役目に付きたいと懸命な努力を重ねたのです。そして、遂には武士の社会を作り上げ幕府を開き、その幕府が徳川家康の開いた江戸幕府まで続いたのでした。この江戸幕府に大政奉還を迫り明治維新の切っ掛けになったのが薩長の連合軍で、その指導者で奇兵隊の産みの親・高杉晋作は西行法師に心酔して、自らを東行(とうぎょう)と名乗りました。現在、高杉晋作の記念館とも言われている庵は「東行庵」と名付けられてもいます。

 閑話休題。北面の武士、中国の帝だけが使用する色は紫。これは、中国の天子の思想から発生したもので、旧い中国の星図の北極付近にあり最も崇高なのが紫微垣。この紫微垣によるものが紫の色。中国の北京の紫禁城にその名残を残します。そして、日本ではこの垣根の役目を務めるのが北面の武士だったのでしょう。

 紫微垣を  守る垣根か  北斗星。       香西蒼天

 現在の北天には、ギリシャ神話に登場する星座が星々を連ねていますが、北斗七星などは太古から注目されていて、帝が乗る車に見立てられてもいました。そして、北極星を取り巻く星々には、中国の宮廷を取り巻く文武百官がひしめきます。

 中国の古典「論語」の為政第二の冒頭には、

 「子曰 為政以徳 譬如北辰 居其所 而衆星共之」
  子曰く 政を為すに徳を以てせば 譬えば 北辰の 其の所に居て 
  衆星の之に共うが如し。

道徳による政治が、いかにすぐれているかを、比喩によって説いたものです。このように、北極を取り巻く星々が昔の中国の宮廷で大変重要視されていたのです。

  北辰を  仰ぎ見ながら   政治(まつりごと)。   香西蒼天

  北辰を  宇宙の軸に    廻る星々。 香西蒼天

 ここで、北辰について考えてみましょう。論語にみられるように、孔子の時代、つまり今から2500年以上昔から北辰と言う言葉が使われていましたが、この当時当然ながら今の北極星は北極にはありません。歳差運動の為ですね。従って、北辰とは北極星を指す言葉でないことは明確です。では、北辰とは何でしょう。この当時から天の北極を中心にして天球が回転して居ることは自明のこととして知られていました。そして、其の回転の中心を北極と呼び、その場所を北辰と名付けていたと考えられるのです。この場所に歳差運動で北極星が移動して来て輝くようになり、いつの間にか北辰=北極星とされたのだと考えられます。


2014年2月の星空

(ここをクリックすると大きな画像になります)
2014年2月の星空です

2月、星空は冬の星座たちでいっぱいです。
1等星が多い冬の星空ですが、今年はその中で
ひときわ明るい星があります。
そう、私たちの太陽系で一番大きな惑星・木星です。
明るさはマイナス2等級ですから、星座の星の中で
一番明るいシリウスよりも、2倍以上明るいのです。
今年の冬、木星はふたご座の辺りで輝いていますので、
オリオン座や冬の大三角などと合わせて、
星空めぐりをしてみましょう。


次 回も、お楽しみに

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