砂漠に日は落ちて夜となる頃・・・。昔流行った歌の歌詞です。夕日が沈み、薄闇が迫ってくる頃、薄明に一番星を探した経験は誰にも残る懐かしい思い出でしょう。一番星、二番星、三番星と際限なく続く星探し。やがて、幾つもの星が全天に見え始め、星座の形が夜空に浮かびます。こうなると、何時しか時の過ぎゆくのを忘れて星と語り合います。黄昏(たそがれ)の星と遊ぶ楽しみです。
この「たそがれ」とは、「誰ぞ彼」のことで日が沈み辺りが暗くなってくると人に出会っても誰彼の区別がつけにくくなる時刻のことを指しています。この「たそがれ・誰ぞ彼」をひっくり返した「かわたれ・彼は誰」と言う言葉があります。「彼は誰」と「誰ぞ彼」も全く同じ意味ですが「たそがれ」は夕方の薄明かりの頃を指す言葉ですが、「かわたれ」は明け方の薄明かりの頃を指す言葉として使われました。この「かわたれ」の頃、星が一個づつ夜明けの空に消え去って行くのを見るのも楽しいもので、紫色の空があかね色に変わって行くその中に星の姿が沈み込んで行きます。
日本には、江戸時代の昔に「明け六つ」「暮れ六つ」と言う言葉がありました。夜明けを六つと決めて時刻を計るのです。その時の「明け六つ」や「暮れ六つ」は、面白いことに手のひらの筋、手相がほのかに見える時刻などと言い伝えられて来ました。この時刻になると、「山のお寺の鐘が鳴る・・」のです。童謡でお馴染みの「時の鐘」ですね。
このような薄明かりの頃を「薄明」と言い、太陽が地平線に沈み、その伏角が増すにつれて暗さが暗くなります。先ほどの明け六つと暮れ六つでは、太陽が地平線の下7度21分40秒になる時なので、これを夜明け、日暮れと決めていて国立天文台発行の理科年表などに記載されています。
ところで、太陽が地平線の下18度になると、6等星が見え始めます。この18度までを天文薄明と言って、太陽が18度より低くなると天体観測が充分可能になります。さて、知床旅情と言う歌が流行ったことがありました。森繁久弥の作詞で加藤登紀子が歌いました。その歌詞の中に「白夜は明けぬ・・・」と言う一節がありました。地球上で緯度が高い場所では、先に述べた薄明の時間が大きく変化します。夏には太陽が中々沈みません。沈んでも、地平線よりあまり深くはならないので夜空は何時までも薄明かりが続くのです。この状態が白夜。そして薄明かりの時間、つまり薄明の間は昼の光と夜の光の双方が共存する事から、トワイライト、二つの光と言われるのです。
秋深し 星見に行くは 誰ぞ彼は 香西蒼天
行く秋を 惜しむが如き 彼は誰ぞ 香西蒼天
「たそがれ」と「かわたれ」に、ぜひ星を見てこの言葉を実感してもらいたいものです。秋こそ星見に絶好の季節なのです。
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