天文セミナー 第157回

『佐治の夜空を見てみよう!』



1.暗い夜空に何がある?

 佐治天文台の天文セミナーも157回目で14年目を迎えます。皆様のご愛読の賜物でよくもここまで続けられたこととお礼を申し上げます。記録に残るような長期間の連載になりました。前回までは、日本の天文学と観測機器の略伝ともいえるような記事を書き繋げましたが今回は、いささか趣を変えた拘りを書きたいと「佐治の夜空を見てみよう」と考えました。物語がどのように展開するかは書く本人にも不明です。ご期待の上、宜しくお願いします。
 さて初回の話題は、暗い夜空になにがあるのかを考えることにしましょう。暗い夜道が苦手だとおっしゃる方も多いと思います。特に最近のように夜間の照明が明るくなり暗い夜空が無くなった!といわれるようになっても、ですね。さらに、夜間に頻発する凶悪な犯罪。これなどは、社会通念として決して許せるものではありません。このような状況の下で、夜空を見てみようとは・・・と言われる方も多いのではないかとも思われます。また、若い人は勉学に勤しみ、夜空など楽しむような余裕はないと言われるかもしれません。私のような高齢者が、まだ若かった時代にも同じように夜遅くまで机に向かって勉学に勤しんだものでしたが、長時間机に向かっていると目や体に疲労が溜まり休みたくなることもありました。そのような時には如何したでしょう。読書や勉学には決まった姿勢で目を酷使します。言ってみれば机の前で近くの書籍やノートしか見ていないことに気付くでしょう。そのとき、最も良い目の回復法は夜空や青空を見上ながら深呼吸することでした。 その時、見上げた夜空に何があったでしょう。言うまでも無く、晴れた夜ならば星たちの瞬きがありました。星までは、目を凝らして見つめる机までの距離に比べ格段に遠いのでした。遠方を見ると、目は緊張から開放されます。視神経と筋肉が緊張から開放されるのです。たちまち気分も爽快になり頭脳も明晰。頭脳と視神経のが緊張から開放されると、頭の回転も回復し再び勉学に勤しむことが可能になりますね。これは、夜空を見上げる時の大きな利得の中の一つです。そして、利得はこの一つだけに留まりません。昔の人のように、星を見てあの光るものは何だろう、と言う疑問が生まれてきます。疑問が一つでも生まれると、その疑問を解きたくなります。こうして疑問と解決の繰り返しが際限なく続くことになり、そうして思索する、つまり考えることによって始まったのが哲学と言われる学問の一分野、精神的な方面に向かって解決の糸口を見つけようとしたのが宗教だったのかも知れません。哲学にしても宗教にしても、先ずは思索から始まり人や動植物の生と死が大きな問題でした。
 宗教は、人の死と死後を考え、如何に生きるべきかを主題にしてきました。一方、星にも神秘性を感じて宗教に関連付けようと試みられました。しかし、これらの背景には、夜空に光る不思議な光物:星が昼間の太陽と同じくらい大きな関心を集めていたのでした。ここに、星と人との関わりを見出すことができるのです。
 さらに、太陽や月などの天体=天にある物総てが東から現われて西に沈みます。一日という周期の発見、その一日が365回積み重なると季節が再び元に返ってきます。一年という周期の発見です。夜空に輝く星々が教えてくれる繰り返しの周期性。時の流れとしての暦。その暦の基本になりました。また、いつも同じ方向から上り、同じ方向に沈む天体や、夜空の一点を中心に天体が回転することから方位の基準が求められ、東西南北の方位が決まったのでした。
 暗い夜空に何があるのでしょうか。宇宙は闇と光が満ち溢れています。そして、その闇の中に何が潜んでいるのでしょう。その闇と光について考えてみようと思います。
 佐治天文台の研究員にも同じように考えてもらい、園地に隠された幾つもの隠し味を見つけて、謎解きをして貰いたいと思います。読者の皆さんの参加を心から期待しています。




2010年7月の星空

(ここをクリックすると大きな画像になります)
2010年7月の星空です
夕方西空に、金星、火星、土星が見えています。
惑星の見える位置が少しずつずれていきますので、
気をつけて観察してみてください。
頭の真上を境にして、西側には春の星たち、
そして東側には夏の星たちが見えています。


次 回も、お楽しみに

天文セミナーに戻る