天文セミナー 第143回

『日食物語(U)』『ビッグバンと水(U)』



日食物語(U)

 日食物語の二回目は、タイに行くことにしましょう。タイなどの東南アジアの神話は、前回に登場した古代インドの神話に強く影響されていると言われています。
 1995年10月24日、タイ国の南部で皆既日食が観測された時のことです。私は、多くの人たちと共に、この日食を観望するために出かけました。観測地に着き、観測の準備をしているとき、黄色い僧服を着た一団の僧侶が隊列を整えてやって来ました。どうしたことだろうか?と不審に思いながら皆既が始まるのを待っていました。やがて皆既が始まりました。僧侶の一団は、蝕まれる太陽に向かって、一斉に手を合わせ読経を始めたのでした。きっと、太陽を蝕む悪霊の退散をお祈りしていたのだろうと思いました。そして、皆既も終わり、日食が終わると、再び隊列を整えていずこともなく帰って行ったのでした。その僧侶の集団の中の1人が僧服の懐から当時はあまり普及していたとは思えないビデオカメラを取り出し、撮影を始めたのが何とも不釣り合いの情景でした。思い出しても、とても愉快な光景です。
 さて、タイでもインドと同じように太陽と月とラフが登場します。彼らは地上で暮らす人間の三人兄弟でした。長兄の太陽は毎日僧侶に黄金を施し物とし、次兄の月は銀を施し物としていましたが、末弟のラフは汚れた鉢に少量の米を入れて施すことしかしませんでした。やがて、この三人の兄弟が死ぬと、長兄と次兄は天に昇って太陽と月になり神々の仲間入りをしましたが、末弟のラフは腕と爪しかない真っ黒の怪物になりました。末弟のラフは兄たちをねたみ、彼たちを追っかけ襲いかかりそして飲み込もうとすると言われていて、これが日食と月食だ、と伝えられているそうです。
 日本の神話「古事記」と「日本書紀」が伝える神話や伝説にも天照大神(太陽)と月読命(月)にスサノオ命という粗暴な弟神の三神が伝えられていますが、この話などはタイの三人兄弟の話によく似ていると思いませんか。


ビッグバンと水(U)

 哲学の祖と言われるのがソクラテス。そのソクラテスに先立ってギリシャで活躍した人にタレスがいます。彼は、紀元前585年5月28日の日食を予言したと伝えられていて、さらに総ての物のできた元の物を探求した最初の人であったとアリストテレスは書き残し、タレスは万物の元の物は「水」であると説いたそうです。
 さて、近代の宇宙開闢・ビッグバンは、銀河の後退速度の解析の結果でした。天文学者ハッブルが観測結果から導いた成果で、遠い物ほど速い速度で遠ざかると言うものです。この結果を基に、時間を逆回転するとある時間で一箇所に収斂します。その時が宇宙の誕生の時。すなわち137億年前となるのです。この瞬間に、ビッグバンが発生して宇宙が誕生したというのです。その時に誕生したのは水素とほんのわずかのヘリウムでした。
 この水素が、宇宙に満ちあふれ多くの銀河や星々が誕生し現在も輝き続けているのです。そして、その時の水素が、地球という小さな星に表面に取り残されて現在まで生き延びているのです。何と不思議なことでしょう。そして、その水素と地球上で作られた酸素が化合したのが「水」。この水こそ生物を育む重要な存在なのです。
 湯水のように使って・・・、と昔の人は浪費をたしなめました。しかし、今ではこの例えは、どうやら疑問のようにも思えるのです。無限にあるような気持ちでいる水素も、言うならばビッグバンの遺物です。この遺物を使いながら我々は存在するのです。すなわち、水素は水を電気分解して発生させ、その水素を使用して「水素自動車」を走らせ、また電気を発生させているのです。現在の多くの技術はビッグバンの最初の生成物である水素によって支えられている、または水によって支えられていると言っても過言ではないでしょう。時を逆に進めるかのようにして発展するのが近代の科学かも知れません。
 私は「天文学」を考古学に例えます。多くの電磁波を使用して進める天文学の研究も、有限な速度の元では時間を遡ることになり、地中を掘り遺物を探す考古学と同じように思えてならないからです。
 万物の根元は水だ、と言ったタレスの考えも先見の明があったと言うべきなのでしょうか。



2009年5月の星空

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2009年5月の星空です。
今年は世界天文年2009です。
星空は、春の星たちで一杯になりました。
北斗七星から、アルクトウルス、スピカとたどってみましょう。
しし座には土星もあって、にぎやかな星空です。


次回も、お楽しみに

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