天文セミナー 第142回

『日食物語(T)』『ビッグバンと水(T)』



日食物語(T)

 今年7月22日には、鹿児島県トカラ列島で皆既日食が見られることはすでに多くの方はご存知ですね。そこで、今月から7月までの4回に亘って「日食物語」と題して、過去から現在に到るまでの日食を振り返ることにしましょう。回想とも言うこのお話は、先ず古代の人たちの日食に関わる神話・伝説から始めることに致しましょう。
 先ずは、世界の宗教の始祖とも考えられているゾロアスター教(拝火教とも呼ばれます)が伝える日食の起源です。これは、古代のインド北西部に始まった宗教の一つで、ゾロアスターと呼ばれる人物が説いた一種の哲学です。そのゾロアスター教の聖典「リグ・ヴェーダ」に因りますと、神々が集まって不死の飲物「アムリタ(甘露)」を作る相談をしていました。最高の神ヴィシュヌとプラシュマーが大海をかき混ぜるとアムリタが得られると教えたので、神々は魔族のアスラたちの力を借りて大海をかき回しました。すると大海から太陽と月、さらに幾つかの神々などが現れ、最後にダヌヴァンタリ神がアムリタの入った白い壷を持って現れました。その白い壷を巡って神々と魔族たちは奪い合いの争いを始めたのですが結局は神々が勝ち、アムリタを飲みあいながら宴を開きました。そのとき魔族のラーフが神に成りすましてアムリタを飲み始めたのです。それを、太陽と月が見破り、最高神ヴィシュヌに告げたのでした。ヴィシュヌはたちどころにラーフの首を刎ねました。そのときアムリタはラーフの喉まで達していたので首だけが不死になりました。ラーフは太陽と月を恨み、後を追い回し飲み込もうとしますがラーフには首から下が無いので飲み込んでもすぐに切られた場所から抜け出てしまいます。これが日食と月食だ、というわけなのです。この場面に登場する最高の神プラシュマーは仏教では「梵天」、そしてラーフは佛教で伝えられる曼荼羅に描かれる「ラーゴ(羅?:ラゴー)」で、アスラは奈良興福寺の国宝舘でおなじみの「阿修羅」です。もっとも、興福寺の阿修羅は、仏教の教えにより改心し仏を守護する立場にある、とされていますが。



ビッグバンと水(T)

 皆さんもご存じのように、今年は世界天文年ですね。世界各地で、天文や宇宙に関する行事が繰り広げられています。おなじみのガリレオ・ガリレイが彼自身が発明した望遠鏡を世界で初めて天体に向けて天体の素顔を見たとされる1609年から400年目の節目に当たる年が今年、2009年だからです。
 ガリレオ・ガリレイが望遠鏡によって天体の仮面を剥ぎ取って、初めて素顔を知ることになった人類は、ここに初めて天文学というサイエンスを手にしたのでした。それまでの天文は「学」の未だ付かない「天文」だったと感じているのは私だけではないでしょう。
 人類の始まりと時を同じくして、人類の夜の頭上に輝いていた天体。つまり星たちに、我々の先祖はどのような思いを凝らしていたのでしょうか。その思いが、星たちを結んで多くの神々や動物を形造り、それが神話として現在にまで残されているのです。が、しかし、そのころの星見は人間が神から授かった「両目」だけが頼りの「星見」でした。ガリレオの時代を、我々はルネッサンス=文芸復興と呼び、文化が一斉に開花した時期、として知っています。改めて、言いますとガリレオ・ガリレイの望遠鏡による天体観測こそ、それまで哲学だった「天文」に「学」の字を与えてサイエンスに引き上げたのでした。
 こうして、ギリシャ時代の人間重視と自然への回帰が近代科学を生み育ててきたのでした。肉眼だけで見てきた天体。其の姿を改めて望遠鏡で見たときの驚きは如何なものだったでしょう。事実、初めて目にする姿に「目」を疑ったことだったでしょう。現在の私たちにも、十分に納得させられることですね。
 我々も世界の大望遠鏡が写し出す多くの新事実に、果たして事実なの?と疑問符を付けて感じることがありますね。ガリレオ・ガリレイがそれまでの宇宙の広さを何倍にも広め、宇宙観を根底から改める切っ掛けを作ったのでした。




2009年4月の星空

(ここをクリックすると大きな画像になります)
2009年4月の星空です。
今年は世界天文年2009です。
冬の星たちは夕方西の空に追いやられ、
星空は春の星たちでいっぱいになりました。


次回も、お楽しみに

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