天文セミナー 第131回
『月探査(1)アポロ11号』『月探査(2) アポロ計画』
今年7月から、佐治天文台では月探査の企画展「月のなぞに挑む」を計画しています。そこで、その展示の紹介を兼ねて、今までの月探査とそれにまつわるような話を紹介しましょう。今では人工衛星など珍しくないと感じている人が多いと思いますが、このアポロ計画が発表された当時には、人類が月面に着陸するなどとても信じられないような時代でした。そして、このアポロ計画が、実施され成功することによって実に多くのことを我われに教えてくれたのです。この計画のきっかけは、当時のアメリカの大統領J.F.ケネディが発表した一つの演説でした。この頃、アメリカとソ連(現ロシア)はいわゆる冷戦時代の真っ只中。アメリカの国威を発揚するにはこのアポロ計画が最適で、その準備はNASAを中心に進められていました。そして1969年7月20日(世界時)、この日にアポロ11号は、人類として初めて月の表面に足を下ろし、その足跡を印すと発表していました。当日はテレビによる生中継があるということで、私達は東京天文台の講義室に集まり、刻々と告げられてくる実況放送に耳を傾けました。実況放送は、ゴダード宇宙センターから世界各地に向けて行われ、日本では西山、鳥飼の両氏が同時通訳を担当されました。会話の相手は、ゴダード基地と月の周回軌道を巡る宇宙船コロンビア号、さらに着陸船イーグルとの間で取り交わされるのです。 |
アポロ11号に引き続いて、この計画は1972年のアポロ17号まで続けられました。アポロ11号は「静かの海」に、12号は「嵐の大洋」に、14号は「フラ・マウロ高地」に、15号は「雨の海」に、16号は「ケイリー高原」に、そして最後になった17号は「晴れの海」にそれぞれ着陸しました。13号は不幸にも機器の不調で引き返す不運にめぐり合いましたが、成功した宇宙船が着陸した場所は海とか高原と呼ばれる所でした。こうして、月面の表面の状態が幾らか判ってきたのですが、アポロに与えられていた任務の中に、月面に逆反射器を設置して来るという仕事がありました。 |
次回も、お楽しみに |