天文セミナー 第96回

『北極星と北辰』『夏至』



北極星と北辰

 梅雨になると、夜空も雲に覆われることが多くなり、星に親しむ機会が少なくなってしまいます。それでも、梅雨晴れの一時、大気が雨に洗われ見事な星空が現れることがあります。そこには、真珠の首飾りを思わせるような星々の連なった「冠座」やギリシャ神話でおなじみの「ヘルクレス座」が悠久の時の刻みを見せてくれます。そして、天の北極近くにはジュリアス・シーザーに不動のものに例えられた北極星が光ります。先月にもお話ししましたように、北極星といえども決して不動ではありません。
 北大が札幌農学校と称されていた頃に作られた、寮歌の一節に「北極星を仰ぐなり」と言うのがあり、さらに鹿児島大学の前身である第五高等学校の寮歌に「北辰斜めに指すところ」と言う一節が見られます。さて、この北極星と北辰とはどのような関係なのでしょうか。およそ、2500年前の中国の偉大な学者・孔子が書き残したのが有名な「論語」。その中に「北辰」という言葉を見つけることができるのです。当時の北極には、先月に書きましたように現在の北極星はありません。小熊座のベータ星が北極から、やや離れて光っていて、この星を当時の人は皇帝(みかど)と称していたのでした。したがって、天の北極には目印になるような明るい星はなくて、場所だけを指す言葉として「北辰」が使われていたようです。江戸時代を含めて、日本を始め漢字圏の国々では北極星と北辰を混同して使用していたようです。ところで、中国には「孔子」を祀る廟が残されていてその境内には楷の樹(かいの樹)が植えられていました。この植樹を見習って、岡山県に江戸時代からの庶民の学問所として残る閑谷学校の校庭に植えられているのが同じ「楷の樹」、そしてやはり佐治天文台の園庭にも植えられています。この楷の樹の別名は「学問の樹」。孔子にあやかりたいものですね。


夏至

 卯の花の臭う垣根に・・・・。 昔、口ずさんだ懐かしい歌の一節です。梅雨のうっとうしい空気。その中で、ほのかに臭う卯の花。日本情緒溢れるような情景です。そして、この歌詞の終わりは、・・・・夏は来ぬ。夏の到来です。6月と言えば、日本ではまだ梅雨の真っ最中なので夏の実感にはほど遠い感じがしますが、太陽の地平高度は1年中で最も高く、ほとんど頭の真上から照りつけるようです。太陽が、天の赤道から最も北に来るのは6月の21日15時46分。そして、その時の赤道からの角距離は23度26分25秒。この時の佐治天文台での地平線からの高度は78度05分54秒に達します。人が、通常頭の真上と感じるのはおよそ60度ほどなので、78度と言えばほとんど間違いなく頭の真上と感じることになります。部屋の中に寝ころんだ見た天井の模様を立ち上がって上を見たときの見え方と比べると、その差が明らかになるでしょう。実際に確かめてみてください。さて、この夏至の時の太陽の出入りの方角はどうなるのでしょう。例えば北極や南極では?。北極では、24時間いつも太陽は地平線の上で地平線に沿って回り続けていますし、また南極では太陽は地平線の下になっていて見ることはできません。そして、地球の北半球の夏では赤道に近づくほど太陽が地平線の上に見える時間は短くなります。



さじアストロパークの精密日時計

夏至の頃の日時計の陰に注目。
太陽が真上近くから照らすので、
影が短いのがよくわかります。


 小学校では、朝、太陽が昇る方向が東です、と教わります。ところが、これは正確には春分と秋分の日に限ったことで、特に夏至と冬至では真東から大きく南北に離れたところから太陽は昇るのです。では、佐治ではどうでしょう。夏至の日の日の出は、真東から北へおよそ30度、冬至には真東から南へ30度離れた場所から太陽が昇ることになります。そして、日没もやはり同じように変わるのです。つまり、佐治では、太陽の出入りの方角が夏至と冬至の間に60度も変わっているのです。1年間に、太陽の出入りの方角がこんなに違うのかと改めて思うほどです。



2005年6月の星空

(ここをクリックすると大きな画像になります)
2005年6月の星空です。
梅雨の頃ですが、真夜中には夏の星たちや
天の川を一足先に見ることができます。

天文カレンダー 惑星たち
3日: 水星が外合
5日: 芒種(太陽黄経75°)
7日: 新月
11日: 入梅(太陽黄経80°)
15日: 上弦
21日: 夏至(太陽黄経90°)
22日: 満月
29日: 下弦
水星: 上旬は観察不適(6月3日に外合)
下旬は夕方の西空(金星の近く)で観察好期
金星: そろそろ観察可能(夕方、西)
火星: 真夜中過ぎに東空
木星: そろそろ観察も終盤
土星: 夕方に沈む

次回も、お楽しみに

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