天文セミナー 第77回

『すばるとすまる』『1枚の絵(ブラッシャー天体写真儀室)』



すばるとすまる

 佐治天文台の今月の宇宙不思議探検のテーマは「すばるを見よう」。凍てつくような冬空に、チカチカと瞬く星の集団。ギリシャ神話に由来する牡牛座の角に当たる場所で一塊になって瞬きます。日本最初の文学書の1つと言われる「枕草子」。清少納言は「星はすばる、ひこぼし、明星、夕つつ、よばいぼしをだになからましかば、まして。」と書き残しています。そして、すばるの名前はこの枕草子より60年も前に既に書き残されていました。それほどまでに、目に付く星の集団。六連星、六つら星、さらに「すまる」。時には「七つ星」。日本人に最も縁の深い星の名前です。


すばる(M45・プレアデス星団)

青白い星のかがやきと、うっすらと取り巻く星雲が
とても印象的です。

 2003年版の理科年表によると、この集団に属する星はおよそ120個で、距離は408光年。一方、1933年版の理科年表には星数120個、距離500光年と記載されています。70年間に星数はそのままで、距離が92光年近くなったことになります。
 そして、私たちに最もなじみが深い北極星の距離は1933年が815光年、2003年が430光年に改定されています。すばると北極星。すばるは星の誕生と進化の理論の完成に、そして北極星は航海術の指標としてそれぞれ大きな寄与をしてきました。
 その足跡が、これらの数字に残されているのです。すばるのメンバー星の物理観測からこの集団の星の進化と固有運動が知られ、距離の観測から空間での運動方向と速度が求められました。北極星の位置観測から地球の北極の移動が知られ、緯度変化の観測から地球の中心と重心が一致していないことが解り、地球は3軸不等の回転楕円体であることが判明したのです。そして、長年繰り返された観測で求められた値が、その時その時で使用されてきたのです。


1枚の絵(ブラッシャー天体写真儀室)

 今、私の家の居間に1枚の油絵が掲げられています。現在、ある美術団体の役員として活躍されている方から贈られた、私にとって甚だ思い出の深い対象が描かれている作品です。サイズも手ごろな8号。しっとりと落ち着いた配色が美しい秋の武蔵野の夕暮れ、黄葉、紅葉に囲まれて佇むのは、東京天文台のブラッシャー写真儀の丸屋根です。


ブラッシャー写真儀のドーム

 東京天文台の百年史を開いて見ると、このブラッシャー写真儀は明治28年(1895年)にアメリカより購入されたと記載されています。東京天文台が国立天文台と名前を変えても所在地は東京都三鷹市、しかし大正末期の関東大震災を期に三鷹へ移転するまでの所在地は麻布区飯倉狸穴。ここで産声を上げたのが東京天文台の前身・東京大学理学部観象台。明治11年のことと記されています。ここで観測を続けたのがブラッシャー天体者真儀。
 そして、この写真儀で得られた成果が(498)Tokio,(727)Nipponia、
(1139)熱海、(1185)日光、(1266)利根、そのほかの小惑星の発見でした。これら小惑星の研究から当時の平山清次は小惑星の中に族を発見し、現在でも平山族の小惑星と呼び続けられています。天文台の三鷹への移転に伴って移設されましたが昭和63年に新設された50cmシュミット望遠鏡に役割を引き継ぎ引退したのでした。日本の天体写真の草分けの役割を果たし現役から引退したブラッシャー天体者真儀は、取り外され博物館の展示品として多くの方の目に触れています。望遠鏡は残されたのですがドームは長年の風雪に痛み、ついに取り壊されてしまいました。そして、この1枚の絵が、私の手元かつての活躍を物語りながら居間の壁面を飾っているのです。このドームに中で聞いた除夜の鐘がまだ耳の底に響きます。




2003年11月の星空

(ここをクリックすると大きな画像になります)
2003年11月の星空です。

秋の四辺形が頭の真上あたりに見えます.
火星は少しかがやきが弱くなってきました。

天文カレンダー 惑星たち
1日: 上弦
8日: 立冬(太陽黄経225度)
9日: 満月、皆既月食(日本では見られない)
 17日: 下弦
23日: 小雪(太陽黄経240度)
24日: 新月、皆既日食(日本では見られない)
水星: 夕方の西空、低い
金星: 夕方の西空、低い
火星: 夕方に南中、夜半に沈む。観望の終期
木星: 夜半に上り、明け方南中
土星: 夜半過ぎに南中、観望の好期

次回も、お楽しみに

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