天文セミナー 第67回

『スプートニクとエクスプローラー』『夜道で誰何(だれだ!)』



スプートニクとエクスプローラー

  1957年に始まった国際地球観測年(IGY)。この国際観測が計画された初期の段階で、アメリカは人工衛星による地球近傍の太陽系空間を観測する計画を発表していました。
 ところが突然、当時のソ連(現在のロシア)1957年10月4日に人工衛星を打ち上げスプートニクと名づけた、と発表したのです。世界は、大騒ぎとなりました。当時の東京天文台には、多くの報道関係者が取材に訪れ、あれこれと質問が集中しましたが、担当部署が決められていなかったこともあって私が所属していた天体捜索部に掲げられていた天文相談係が応対することになりました。ソ連が発表したと言っても、まだ誰もその人工衛星の飛行する状況を見ていません。実見しなくては確信できないというわけで、私の先輩は新聞社の飛行機、そして私は放送局の飛行機にそれぞれ乗せられ、夜間飛行に飛び立ったのでした。

 太平洋沿岸に沿って東北地方を北上し、太平洋上へと飛び出しました。飛行経路は当時のアメリカ軍のレーダーによっての追跡。だが、しかし2人とも確認できませんでした。
 日がたつにつれ、人工衛星の見える時間帯が変わり、夕方の空を1個の光る点が横切って飛ぶ有様は、一種の畏敬の念に似た感じを地上の人々に与えたのでした。


人類史上最大の宇宙建造物・国際宇宙ステーション

鳥取大学天文研究会のメンバーが自作した
国際宇宙ステーションの模型です。

 そして、翌年の1958年1月。満を持していたアメリカが打ち上げに成功しました。エクスプローラーと名づけられた人工衛星です。こうして、ソ連とアメリカの国威を賭けた宇宙開発が、世界の注目を浴びながら始まったのでした。
 人工衛星の高度はおよそ300km。地上での距離に直すと、東京から名古屋までにもなりません。それでも、夜空を動く光点には人知を尽くして開発したロケットとそこに搭載されている機器。そして、何よりもロケットの速度が秒速8kmだったことです。
 地球の重力、言い換えると引力に逆らって、地上に落ちることなく地球の周りを公転するための速度が得られたことの証でした。


夜道で誰何(だれだ!)

 毎年の年初を飾る天文現象は、なんと言っても四分儀座の流星群。今では、なくなってしまった星座ですが、なぜだか流星群の名前としてその名残をとどめています。
 1940年代の末から1950年代にかけて、東京天文台では流星の多点同時観測を行っていました。その一例が、岡山県へ出かけての多点同時観測でした。岡山測候所と、倉敷市天城(当時は天城町)との2点観測でした。この観測が、ある意味では現在の国立天文台岡山天体物理観測所開設の背景になったのでした。

 ところで、東京ではどうだったのでしょう。三鷹市の東京天文台も1950年代には、暗い夜空がありました。この三鷹の構内と、およそ5km南の川崎市細山地区に写真望遠鏡を設置して流星の2点観測を実施していました。そして、川崎へは自転車によって観測に通うのでした。冬。寒風に吹かれながらの、一種の通勤。しかも深夜や早朝。防寒具に身を固めての自転車漕ぎです。川崎までの途中、多摩川を渡ったところに交番。運悪く立ち番の警察官に出会い「誰何(だれか)」と不審尋問。天文台の研究者である旨を告げ「ご苦労様 」との言葉とともにやっと開放。この事例をきっかけに身分証明書が発行され、携行が義務付けられたのでした。




2003年1月の星空

(ここをクリックすると大きな画像になります)
2003年1月の星空です。

冬の星たちが早くも東の空に昇ってきました。

天文カレンダー 惑星たち
2日: 水星が留
3日: 新月
4日: 地球が太陽に最も近い
6日: 小寒(太陽黄経285度)
10日: 上弦
11日: 金星が太陽の東で最大離角
12日 水星が太陽のこちら側 
18日: 満月
20日 大寒(太陽黄経300度)
23日: 水星が留
25日 下弦
水星: 月初め夕方の西空、12日に太陽と合、以後明け方の東空
金星: 明け方の東空で11日に太陽から最も離れる(47度)。観望の好
火星: 3時頃に上る
木星: 夜半に真南。観望の好期
土星: 夜半前に真南。観望の好期

次回も、お楽しみに

天文セミナーに戻る