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天文セミナー第222回(2015年12月)「名付け親の楽しみ。」第6回 近代天文学

天文セミナー 第222回

『名付け親の楽しみ。』



第6回 近代天文学

No.07-1

(3290) Azabu=麻布=1973SZ1 発見者:C.J.van Houten and I.van
Houten-Groeneveld

  発見日:1973 Sept.19  (3291)Dunlap 発見日:1982 Nov.14と命名権を交換。

命名の由来:三鷹市に引移るまでの東京天文台の所在地の地名・麻布にちなみ命名。尚、現在はこの地に日本測地原点があり、旧東京天文台の大子午儀跡として後世に記念として残されている。

 今、私の手元に「東京大学大学院理学系研究科 天文学教室」と題した一冊の報告書があります。此によると、東京大学理学部天文学教室の歴史は1877(明治10)年に東京大学の創設と同時に理学部第2グループの数学科、物理学科と共に星学科が発足した、と書かれています。この星学科は当初は他の学部と同じく本郷にあったが、1888(明治21)年に星学科は理学部天象台の理学部東京天文台への改組移転と共に本郷から麻布飯倉に移転した。1924(大正13)年には東京天文台は三鷹に移転、しかし天文学教室は麻布飯倉に留まった。第二次世界大戦で麻布の天文学教室は長野県上諏訪に疎開、麻布飯倉の教室は1945(昭和20)年5月に空襲で焼失。1947(昭和22)年の麻布飯倉に戻り、この年10月に東京帝国大学は東京大学と改称。

 この麻布飯倉に有った東京大学東京天文台の大子午儀が、日本の測地原点となるのです。当時の天文観測は、主に星の位置を精密に観測し天球の座標を決める、位置天文学が主流でした。その主役を担ったのが大子午儀でした。当時の写真があまりにも少ないので詳細には分かりませんが、この大子午儀に依って星の座標を決め、さらに望遠鏡の不動点と呼ぶ回転軸の中央の真下点。此が日本の測地原点になったのでした。

 ちなみに、この大子午儀は関東大震災の被害を受けたにも拘わらず、望遠鏡本体は三鷹に移設されて黄道帯の恒星の座標観測に長年活躍しました。

 麻布飯倉にあった天文学教室。此所の日本測地原点から見た千葉県房総半島の中部にある鹿野山の方位、つまり北極から東回りに測った方位角が、測地原点の経緯度とセットになって日本の国土の測量が行われ、各地の三角点の経緯度と北極の方位角が求められて行ったのです。この測量を、三角測量と言って基準点は三角点。纏めて三角網が完成し精密な日本地図が描かれたのでした。

 この元になる観測を,天文測量と言い天体の座標から地球上の座標を求めるのですが、この方法には多くの欠点がありました。先ず、各地の垂直線の片寄り、鉛直線編差です。大きな物体の重力により鉛直線が偏ることです。現在は、日本各地の値が理科年表に掲載されてはいます。さらに、海を挟んだ場所では遠望が利かないので無理。測地観測の度に天文測量でその地の経緯度を求めても鉛直線編差で座標が食い違います。

 第二次世界大戦前の頃。日本本土から測量を進め朝鮮半島に上陸して北上、鴨緑江までたどり着いたときのこと。当時の、満州(現在の中国東北部)の測量原点から測って来た座標と食い違いが生じたのです。精魂傾けて測量してきたにも拘わらずです。その結末は、東京天文台で私の上司だった広瀬氏に依って1948年の礼文島の皆既金環日食の際に決着が付けられました。3軸不同の回転楕円体である地球を相手にしての研究。中々手強いもですが、またそれだけに解決の喜びは大きいのです。宇宙が相手ではもっと手強いのですが、もっと楽しい!!


2015年12月の星空

(ここをクリックすると大きな画像になります)
2015年12月の星空です

 12月になりました。寒くなりましたが、日没が早くなり星空を長く楽しめる時期です。夕方早い時間帯には、西の空に「はくちょう座」が見えます。「北十字」とも呼ばれる星でできた大きな「十字架」を探してみましょう。「秋の四辺形」は少し西に傾き、東の空にはオリオン座が見えてきました。最も見つけやすい星座のひとつですから、いい目印になります。いよいよ明るい星の多い冬の星たちの出番です。


次回も、お楽しみに



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