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天文セミナー第231回(2016年9月)「名付け親の楽しみ。」第15回 日本文化の目覚め

天文セミナー 第231回

『名付け親の楽しみ。』



第15回 日本文化の目覚め

No.35
(7104) Manyousyu=万葉集=1977DU  発見日:1977 Feb.22

命名の由来:万葉集にあやかる。

No.37
(7562)Kagiroino-Oka=かぎろいの丘=1986WO9
  発見日:1986 Nov.30

命名の由来:柿本人麻呂の短歌「万葉集」に所載

 日本最初の文化遺産、万葉集に関わります。万葉集は、7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂された日本に現存する最古の和歌集です。天皇、貴族から下級の官吏、防人など、様々な身分の人が詠んだ歌が4500首以上集められたものです。天平宝字3(759)年以後の成立と見られていて、日本文学の金字塔とも言える資料で、防人歌などには各地の方言などを見ることができます。万葉集の名前の由来は「萬(よろづ)の言の葉」だろうという研究もあるそうです。この萬の言葉に対するものとして「古今集」などがあるとも言われます。今、万葉歌人と言われる多くの人が詠み残してくれた和歌=短歌を読むとき、当時の人が如何に大らかであり、また自然を友とした暮らしを営んでいたかを偲ぶことができます。
 先述の「みすず」。私たちは何気なく信濃、つまり長野県にまつわる枕詞としてだけ知っていますが、万葉時代にはすでに知られていたと言う事実を、また防人歌の切々と胸を打つような歌。多くの、庶民の心を知ることが出来ます。しかし、その一方では宮廷歌人達が、雅な高殿で景色などを愛でながら詠んだ歌。額田王の恋歌、

 あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る。
                           額田王。

 天文に関わる者としては、夏の夜の行事「七夕」が気がかりです。七夕の行事は、この頃すでに行われていたようで、特に「七日の夕」と題して数十の歌が残されています。
 万葉時代の人は、どのような七夕の夜を過ごしていたのだろうか?という思いが沸いてきます。

 天の海 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ出でんとす。
                           柿本人麻呂。

 天の川と月の船。いかにも七夕を思わせます。

 戦時中のことです。天皇を現人神と称し、神と同格にしていたことがありました。
 天皇を神に仕立てたのも万葉歌人。

 大君は 神にしまさば 天雲の 雷の上に 庵せるかも。
                             柿本人麻呂。

 近鉄線の橿原神宮駅前には神武天皇の陵と言われる古墳があります。そこの博物館に1枚の絵が飾られていました。

 東の 野にかぎろいの 立つ見えて 返りみすれば 月傾きぬ。                 
                            柿本人麻呂。

 軽皇子(後の文武天皇)の供として大宇陀の地のあきる野に旅をして一夜を過ごした明け方に詠んだ歌です。このかぎろいと日時を求められ考察しました。解説書には「かぎろい」は陽炎のことと記されていますが、此は不自然です。明け方に陽炎が見える訳はないのです。天文学者が考証の結果、旧暦11月17日の明け方5時頃だろうと言うことになりました。この結果、大宇陀ではこの日、かぎろいを見る会が催されているそうです。

 因幡の国庁にいた大伴家持が詠んだのが万葉集最後の歌、

 新しき 年の始め 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事。


2016年8月の星空

(ここをクリックすると大きな画像になります)
2016年9月の星空です

 9月になると朝晩は涼しくなり、時には肌寒さを感じるほどです。季節は確実に秋へと移り変わっていますね。星空を見上げると、「夏の大三角」が頭の真上に見えています。夜遅くには西空に傾くようになりました。東の空には「秋の四辺形」が昇っています。1等星はありませんが、ほぼ真東に見えますので方角がわかれば見つけやすいでしょう。南西の空の火星は、日々少しずつ移動していきます。


次回も、お楽しみに



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