このページではJavaScriptを使用しています。

天文セミナー第233回(2016年11月)「名付け親の楽しみ。」第17回 幕末の学者

天文セミナー 第233回

『名付け親の楽しみ。』



第17回 幕末の学者

No.55
(12186) Mitukurigenpo=箕作阮輔=1977ER5 発見日:1977 Mar.12

No.56
(12221) Ogatakoan=緒方洪庵=1982VS2 発見日:1982 Nov.14

No.42
(8144) Hiragagennai=平賀源内=1982VY2 発見日:1982 Nov.14

 今回は、幕末に活躍した学者さん達です。激動の幕末時代に、その渦に巻き込まれた多くの学者がいました。儒学者、蘭学者、さらには国学者。これらの人々は現在の私たちにも何らかの影響を及ぼしています。この方達の足跡を訪ね、遺徳を偲びたいと思いました。
 箕作阮輔は、幕末の岡山県津山藩の人。蘭医学、技術書などの翻訳を行い、「水蒸気略設」を元に薩摩藩は初の国産蒸気船を製造。この箕作家からは代々多くの科学者が輩出。三女のつねは菊地大麓の母で、大麓は2度にわたりイギリスに留学した数学者・政治家でもあります。そして、東京大学総長を始め学習院院長、京都帝国大学総長などを歴任するなど、多くの学者が輩出し日本の政治・学問の発展に尽力しました。
 箕作家の活躍を示すのが、津山市の洋学資料館。ここには多くの展示があって当時の時代背景を知ることが出来ます。特に医学関係の展示が多く、解体新書などを見ることができるのです。そして、この箕作阮輔の銅像がJR津山駅前の広場に建設されています。
 緒方洪庵は江戸後期の備中足守藩(現在の岡山市)の藩士で、医師、蘭学者。大阪に適塾を開き多くの人材を育てました。特に天然痘の治療に貢献し、日本の近代医学を始めたことで知られて居ます。緒方洪庵が開いた適塾は、後の大阪帝国大学医学部です。そして、この適塾からは福沢諭吉、大鳥圭介、橋本左内、大村益次郎、など幕末から明治維新で活躍した人材が輩出しているのです。この緒方洪庵は箕作家とも交際があり、英蘭辞書などを箕作家から求めています。岡山市北区足守に残る緒方洪庵の旧居跡には、洪庵の遺徳を偲んで石碑が建てられていて、そこには洪庵の姿が描かれています。
 緒方洪庵の適塾も、大阪大学によって保存管理されていて見学する事ができ当時の様子を忍ぶことができます。
 源内さんと愛称で呼ばれるほどの人気者だった平賀源内は、当時のスーパーマンであらゆることに興味を示して居ます。郷里は香川県のさぬき市。旧宅と称する家には、エレキテル模型や書などが展示されていて源内の興味と博学さの一端を知ることができます。伝説によると、夏の土用の丑の日に”うなぎ”を食べる習慣を作ったのも源内さんと言われますが真偽の程は判りません。
 私が、幕末の科学者(?)を小惑星の名前に取り上げたのは、当時の人が如何に多くの困難と闘いながらも自分の興味と疑問に向かって進んでいたか、と自問自答したからでした。「はて」、あれは何?、どうしてだろうな?と思い考えることがどんなに大切なことなのかと知りたかったからなのです。
 もっと多くの先人科学者がいます。その足跡を辿り、何故?を連発して行きたいものです。


2016年11月の星空

(ここをクリックすると大きな画像になります)
2016年11月の星空です

 夕方、南西の低空にひときわ明るい星が見えています。これは宵の明星「金星」です。これからだんだんと見えやすくなりますので注目です。西の空には「夏の大三角」、頭の真上には「秋の四辺形」が見えています。秋の四辺形から南の「みずがめ座」、北の「カシオペア座」とたどってみましょう。星がよく見えるところでは、夏の大三角からカシオペア座にかけて天の川が見えるかもしれません。


次回も、お楽しみに



質問:このページの内容は参考になりましたか?
質問:このページの内容はわかりやすかったですか?
質問:このページは見つけやすかったですか?
質問:このページはどのようにしてたどり着きましたか?