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天文セミナー第237回(2017年3月)「名付け親の楽しみ。」 第21回 幕末

天文セミナー 第237回

『名付け親の楽しみ。』



第21回 幕末

No.34
(6846) Kansazan=菅茶山=1976UG15 発見日:1976 Oct.22

 菅茶山(1748年~1827年)、広島県神辺の生まれ。江戸後期の漢詩人。備中にも足繁く赴き交流を深めた。多くの書を残し、その中に当時の民間伝承としての「天文現象」が記述されていて、当時の民間の言い伝えを知る上で貴重な記録となっている。

No.66
(15202) Yamada-Houkoku=山田方谷=1977EM5 発見日:1977 Mar.12

 備中高梁の松山藩の家老として藩の財政の回復に尽力。戊辰戦争に登場する越後長岡藩の家老・河井継之助も藩の財政回復のため指導を受けた。備中特産の鉄を生かして備中鍬と言う4本歯の鍬を発明し農作業の効率化を図り、高梁川の水運を利用し物流を促した。

No.47
(10006) Sessai=西山拙斉=1976UR15 発見日:1976 Oct.22

 関西の孔子と言われた儒学の師。岡山観測所の麓、鴨方に生まれ江戸遊学を繰り返しながら学問一筋の生活を送り、上記の菅茶山や地元の文人などと深い交流があった。現在でも遺徳を偲んで多くの研究者が著作を研究し当時の学問の深さを評価している。

No.39
(7634) Shizutani-Kou=閑谷学校=1982VO3 発見日:1982 Nov.14

 江戸時代には、当時の藩が競うように藩校を設置し、当時の学問を藩内に広めようと努めていた。岡山藩の郷学として開設された閑谷学校もその一つで、藩主自らのお声掛かりで儒学が講義されていた。この建物は、往時の姿をそのまま残していて国の貴重な文化遺産として住民により維持・管理されている。

No.50
(10453) Banzan=熊沢蕃山=1977DY3 発見日:1977 Feb.18

 上記の、閑谷学校の講師として招聘され、多くの藩士や町民を教育した。当時は、儒学が疎んじられ朱子学が重用されるような時代の変化期だったため、当時の藩主との折り合いが着かず、遂に講師を辞退した。しかし、村民は遺徳を偲び現在も町名に蕃山の名前を残している。

 幕末には多くの人々が活躍しました。その中で、現在も岡山県民に慕われ、遺徳を偲んで顕彰されている人々と学舎です。激動の幕末、岡山藩は朝廷側に付き山田方谷が家老を務めていた備中松山藩(現在の高梁市)は幕府側。藩主が幕府最後の老中であったため、戊辰戦争では会津方として苦衷を舐めることになります。しかし、私の住む玉島はこの松山藩の藩港。高梁川から玉島港までの開鑿を行ったのも松山藩で、この開鑿により山間部と瀬戸内海沿岸部の交流が盛んになりました。そして、この運河の開鑿で世界最初に採用されたのが閘門式の水路です。開通はスエズ運河やパナマ運河より早く、高瀬舟と言う平底船も玉島港を基点にした水運に大きな寄与を果たしました。そして、この高梁川で使われていた高瀬舟が京都でも使われるようになったのです。瀬戸内の学問が当時の文化にも大きく関わっていたのでしょう。先人の遺徳を偲んでの命名です。寛の師・国仙和尚の回りを巡る姿。円通寺での一コマを見るようです。


2017年3月の星空

(ここをクリックすると大きな画像になります)
2017年3月の星空です

 長らく宵の明星として輝いていた金星が、夕方の西空で見えなくなり、明け方見られるようになります。入れ替わるように木星が東の空に昇ってきました。金星ほどではありませんが、よく目立ちます。
冬の星たちは真南を通り過ぎ、西寄りとなってきて、少し元気がないようにも感じられます。東の空には春の星たちが見えてきて、星空を見ても春の訪れを感じます。北斗七星もお見逃しなく。


次回も、お楽しみに



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