天文セミナー 第92回
『時差』『赤道祭』
以前は、時差と言えば平均太陽時と視太陽時の差のことを指していました。これは黄道を同じ早さで運動する平均太陽と実際に見える太陽との差のことで、正式には均時差と呼ばれる数値のことでした。難しく言えば視太陽時を求めるために平均太陽時(私たちが常に使用している時刻)に加えるべき量(時間)のことでした。しかし、通信や交通の発達した現在では、各国で使われている常用時の差を表すようになりました。外国旅行の際、「時差ぼけ」になった等と言う言葉ですね。先月までのお話は、結局この時差を説明してきたことなのです。世界共通の時刻制度が使われると、世界中が同じ時刻になってとても便利との考えもあるでしょうが、そこはやはり日の出や日の入り、太陽の南中などに強く関わっている日常生活。世界中が同じ時刻で、と言うわけにはゆきません。
ところで、国立天文台が発行している「理科年表」や、その他の暦を見るとき、時刻を示す欄に「中央標準時」と記載されていますね。不思議に思いませんか?。日本の標準時の基準になっているのは、良く知られているように東経135度の経度線に依る時刻ですね。何人かの人に聞くと、東経135度の経線がほぼ日本の中央を通過しているからだ、答えてくれます。ところが、実際には第二次世界大戦の終わるまでは西部標準時という基準がありました。これは、当時日本が統治していた台湾が東経120度の経度線上にあったので、本州などより1時間遅れの時刻制度が採用されていたことに由来するのです。 |
先月は、本初子午線と日付変更線に登場して貰いましたので、今月は赤道に登場して貰いましょう。世界地図を広げると、日本の南の方に赤く書かれた線と赤道と言う文字を見つけることができます。昔々、ある人が船で赤道を越えました。赤道に近づくと、その人は懸命に海面を見続けているのです。船員が不思議に思って尋ねました。「あなたは、何をお探しですか」と。その人は「赤道の赤い線を見ようとしているのです」と、答えました。この人は、実際に赤い色の線が赤道に描かれていると思ったのでしょうか。それはさておき、以前は船が赤道を越えるときに行われた楽しみの中に「赤道祭」があったそうです。1958年、日本は国の総力を挙げて南極観測に参加しました。その時の観測船は「宗谷丸」。ふしぎな運命を持った船として知られています。第二次世界大戦の生き残りで、当時は運輸省海上保安庁の巡視船として老体にむち打って活躍していたのでした。この「宗谷丸」が、観測隊員を乗せて遙々と南極まで往復したのです。南極に行くには当然赤道を通過しなくてはなりません。そこで、隊長さんと船長さんの肝いりで繰り広げられたのが、全員参加の赤道祭り。日焼けした真っ黒な肌、椰子の葉で作った衣装。何十日にも渡る航海の一時を楽しく過ごしたことでしょう。その後この南極観測船での赤道祭がどうなったか、残念ながら知りません。 |
次回も、お楽しみに |