鳥取市

佐治谷話登録日:

佐治谷話とは

 人間の良さ、弱さ、哀れさ、愚かさ、或いは、はなやかさを綴ったものであり、結局は人間の本質にふれたものであり、ほんとうの文学と云ってよいものではありますまいか。
 ~ 三代目鳥取県知事 石破二朗 ~


 わかい友よ、どうかふるさとの民話を忘れず、常にユーモアとウィットを忘れ給うな。明るい表日本はいざ知らず、裏日本の数ある谷々のうちに佐治が生んだ金剛石は、永遠に光りかがやくことであろう。
 ~ 作家 大江賢次 ~


 佐治谷話の伝承は、因幡、伯耆、美作、備中、備前、但馬、播磨の区域に及ぶと云われ、そのスケールは雄大である。
 一連の佐治谷話の持つ造語のエネルギーを高く評価しなければなるまい。又かなりの数の話が、佐治谷話のために持寄られ、うわのせされたものであるにしても、佐治谷話として語り継がれた五百年の才月は、貴いものがあるだろう。
 ~ 三代目佐治村長 上田禮之 ~


 この自跡は辺国の村衆の、自尊心であろう。かれらはあえてダラズになって、見下す人々の鼻をあかしたのであった。
 ~ 民俗学者 稲田浩二 ~


 どこかで聴いた話、何かで観た舞台の記憶が呼びさまされて、とても懐かしい気持ちになりました。そうなのです。佐治谷に古くから伝わる話は、上方(近畿地方)で今でも語られ演じられる落語や狂言とそっくりなのです。
 ~ 詩人 ひらのりょうこ ~


 佐治谷ばなし、起こりも伝承過程も真相は藪の中、「茫洋」としています。でもそれだからこそ後世に伝承されるべき貴重な文化財だと想うのです。
 やさしい心、夢や想像力、ウィット、ユーモアに満ちた民話の心が人々の心に深く、広く響くことを願ってやみません。
 ~ 六代目佐治村長 下石義忠 ~

佐治谷話 選

蟹のふんどし

 昔々、
 さじの奥の若い衆が、浜の方から嫁さんをもらって暮していた。
 あるとき、嫁の里に婿入りをすることになった。
 ところが、平生(ふだん)他家(よそ)に行きた事もなく、お客の作法がさっぱりわからん。
 「下手な事をして、げびゅうたれんやあに、いい按配(あんべえ)に行きてごしゃあいいだがなあいや」
 親たちもぼっこう心配になって来た。その日の朝、大急ぎでにわか仕込みにお客の行儀を、あれこれと教えた。
 「嫁の家(あねぇげえ)に行きゃあな、この頃のことだけ、蟹ちゅうむんが、御馳走(ごっつおう)に出るだらあと思うだが、蟹う食う時ににゃあ先にふんどしゅうはずいてえて、それからよばれるむんだぜ」と
 「そいから、お茶が出たときにゃあ、あつうてもフウフウ口で吹くむんぢゃねえ、みったむねえけえな。漬物こうこうをはさみ込んで、まぜくりょうりゃあ、さあでにさめるけえな、そげえするがいいだぜ」
といって、いろいろに言い聞かせて送り出した。

 そして、日の暮れもとに嫁の実家に到着した。
 「さあ、さあ、くたびれただらあけ先に湯に入ってごっされ」
 言われて、湯殿に案内された。ところが湯が熱うてとても入れそうにない。さっそくとんで出て台所(はしり)から、唐漬大根を二、三本をさがして来た。風呂桶の中にぶち込んで、ぐるぐるかきまぜて湯を冷ましていた。これを見つけた嫁はびっくりした。仕方なしに糠だらけ湯を水でうめて、どうにか湯から上らした。
 「やれやれ、いい湯だったわいや」
 一服するうちに、夕食になってお膳が出された。座について見ると、やっぱり大けな蟹がつけてある。
 「これだ、これが」
 えたり、とばかりに婿は早速に立上がった。袴を脱ぎ、自分の褌しをはずして、きちんとたたんで、お膳の横に置いてえて、それからゆっくり、蟹に箸をつけたという。

(出典)
中島嘉吉編「さじだにばなし 増補版」(佐治村文化財協会)

だんご

 さて、昔
 さじの人で、好人物の若い婿どんが、嫁の里から招ばれていた。
 ある時、町の方に用があって出た折に思い付いて足をのばした。そしたら、ごっつう喜んでからに、御馳走振(ごっつおうぶ)りにと、団子を作って食べさせた。
 「こりゃあ、まあいいとこに来てごいた。冷(さめ)んまあに早ように食ってごせえ」
とすすめた。丁度、腹はへっとるし、珍しい故(せえ)もあって
 「頬(ほお)だまから舌がでる」
ほどにうまかった。沢山食べて、たんのうした。
 「このむなあ、ごっついうんめえ物(むん)だが、なんちゅうむんだらあ」
と尋ねた。
 「こりゃあなあ、”だんご”ちゅうむんだがよう」
と教えられた。よく覚えて帰って、家から作って食べさいて貰おうと、帰りがけに、もう一度聞いて、覚え込んだ。戸の口から出ると、
 「だんご」「だんご、だんご、だんご」
と小声で繰返して拍子をとりながら、歩いて帰った。村の下まで帰り着いたが、小さな飛び所(しょ)があって、普段のくせで、うっかり「ひょい」と、とんでしまった。
 そのはずみで、
 「だんご」が「ひょい」に変わってしまった。それからは、
 「ひょい、ひょい、ひょい」
と言いながらとんで吾が家に帰り着いた。

 忘れんうちに早いとこ教えておかねばと、嫁さんを呼んで、急いで頼んだ。
 「うらあよう、今日里に寄って、”ひょい”ちゅう、ごっつい美味(うんめ)えむんをよばれて来たわいや、のしゃあ、よう知っとらあけえ早う「ひょい」うして食わしてごせいや、とっても、うんめえむんだったわいや」
 嫁には何のことか、さっぱり訳がわからん、何度も根問(ねどい)をしてうろうろするばかり、婿はとうとう腹立ちまぎれに、ゆるいぶちにあった、火吹竹を握って、思いしか嫁さんの頭をぶんなぐってしまった。
 「あいた」
と頭に手をやってみたら大きなこぶが一つ
 「まあ、ほんに、人の頭あ、ぼっこうもねえ、どつくけえ、これよう見ねえ、だんごを見ちゃあなこぶが出たが」
と目をむいて怒った。それを聞いて、ようやく思い出した。
 「うん、それだそれだ、その”だんご”の事ったがなあいや、まあ、早うして食わしてごせいや」
って喜んだと言うことである。

(出典)
中島嘉吉編「さじだにばなし 増補版」(佐治村文化財協会)

尻を持ったか

 昔、大昔のこと。
 酒と言っても、今日のような酒屋から買って呑むというような事は少なく、自家で酒造りしていたころの話。
 さじのある百姓家でもおやじが元来の酒好きでいつも上手に造り込んでいた。
 田植えが済んで、しろみての祝いに酒がいることになった。それで、親父さんが息子兄弟に言付けた。
 「今日は農休みだけえ、代(しろ)みてをしようかいや、うええらあ、二人やあにあまだに上って酒(どぶ)の壷をおれえてきてごせんかいや」
 「よしきた」
と兄弟があまだに上って行った。
 「重てえけえ、よう気うつけるだぜ、二人やあに、せにゃあいけんぞ」
 おやじは座敷からどなった。

 あまだから持出して、庭の上(そ)らから、兄貴が壷の頭あ持っておろすし、弟が下たから梯子をかけて、壷の尻を持って受け取るつごうであった。それで兄貴が
 「おい、もういいか、尻う持ったかいや、よう持っとれえよう」
 「うん、尻う持った、持った」
 弟は正直に自分の尻を抱えて、いっしょうけん命梯子を降りかけた。
 兄貴の方は重いので、かなわんようになって、上えから、
 「もういいなあ、うらあ、手(ち)ょうはなすだぜ、尻うよう抱えとれええ」
 「うん、よう持っとるけえ」
 弟は、下からじっと力一杯に自分の尻を持ってまっていたが、兄は上から壷の手を離した
 壷は庭に落ちて、ガチャーン。そればっちり、
 酒は飲まれず、おやじにえらい叱られたということである。

(註)
しろみて・・・田植が無事に終わったことを祝う農家の行事
あまだ・・・農家の座敷の上に竹の簀の子をおいて、土をあげ二階のように作ってある物置
庭・・・農家の屋内の土間のこと

(出典)
中島嘉吉編「さじだにばなし 増補版」(佐治村文化財協会)

鯛のつくり

 さて、昔、
 さじのおやじが、久し振りにある時、鳥取の知り合いの家に立寄って、いろいろともてなしを受けた。
 あれこれと、珍しい御馳走(ごっつお)を沢山頂戴した(よばれた)のだが、中でも一きわ「美味しい(うんめえ)」と思った、見たことも無えごちそうがあった。
 「なんと、うらぁ、えんりょうもなしに、ぼっこうもねえ、大よばれようしたがよう。そいで、この皿のむんは一番(’いっち)美味え(うんめえ)やあに思ったがだが、こりゃなんちゅうむんだいや」
と聞いてみた。
  「こりゃあ、そげえ別に変ったむんぢゃあ、ありゃせんけえどな、鯛のつくったのだがよう」
 なる程、これが「鯛をつくった」ちゅうむんか
 「こりゃあ、良い事を聞いたわい、みやげに買あて帰(い)んでみんなに食わしたらにゃあいけんわいや」
 そう思って、帰りに市の魚屋に寄って見た。ちょうど、店先に大けえな鯛が並んでいた。それでも念のためにともう一度魚屋に聞いてみた。
 「なんとなあ、うらあ一寸聞きてえだけえど、鯛(てえ)ちゅうむんはどげえして食ったが一番(いっち、)御馳走(ごっつおう)になるだいや」
 「そりゃア、なんちったって、つくって食うが一番良い、つくりが一番だ」
と、よしよしとうなずいて。
 「そげえすりゃあ、この大けな鯛(てえ)を分けてごっされ」
 見事な鯛を勝った。

 お急ぎで持って帰って来た。早速裏の畑に穴を掘って、木を植えるように埋めて。早よう大けようせにゃあいけんだけえ、下肥(だる)うかけたり、朝夕水をやって精出して作った。すると、しばらくたつと、鯛の目が白くなってしまった。
 「やれやれ、おかげで大分(でえぶん)芽が出たがよう」
と喜んでおった。
 それから間もなくして、鯛は腐ってしまってどうする事もできなかったということである。

(出典)
中島嘉吉編「さじだにばなし 増補版」(佐治村文化財協会)

きじとからす

 さて、昔々の或る年のこと。
 寒さも追々と気になり出した、或る日の昼下りに、用瀬の街中で往来を、さじの男が何やら大けな篭を大事そうに背負って、右に肩には、ザル棒の先に美しい雉子を一羽ぶらさげて、得意そうに売歩いていた。
 「カラスはいらんか。カラスはいらんか。大けなカラスう安うするがいらんか」
 そう大声で呼びながら竿の先の雉子をぶらりん、ぶらりんさせもって歩いていた。
 「おい、まあ、ありょう見いいや、在郷の者が阿呆だけえ、大きな雉子う持っとって、カラスだってまちがえて売って廻りょうるわいや。安うさいて、みんな買あて一儲けしたらあかいや」
 日頃、狡猾な事で通っている町の者が、しめし合せてたくらんだ。
 「うん、このカラスあ上物だけえ、ちったあ、はりこんで貰わにゃあならんだけえど、全部買あてごっさりゃあ安うするだがなあいや」
 思案したあげく、カラスにすりゃあべらぼう高い値段をつけた。
 町の者もびっくりしたけえど、雉子にすりゃ只みゃあな相場だわいや、阿呆だけえ知っとりゃあせんだし、気の変わらんまあに、早ように買あたれえいや」
 大急ぎで金を払ってしまった。
 おやじは、銭の懐にねじ込んでにこにこしもって、背中の篭を下ろすと、中から約束どおりカラスをつかみ出して渡した。
 当てが外れた町の人たちは
 「おい、だらずにすんないや、こりゃあ、ついのカラスじゃあねえかいや」
と怒り出した。おやじはすまし顔で、
 「さあ、カラスだがなあいや、棒の先にブラさげとるなあこりゃあ雉子だぜ、知らんだかいや」
 そう言って呆れ返った、町の人たちを尻目にさっさと帰って行った。

(出典)
中島嘉吉編「さじだにばなし 増補版」(佐治村文化財協会)

書籍とCD

書籍

ひらのりょうこ「響け佐治谷ばなし」
(佐治村役場総務課)

 

CD

常田富士男と京フィルによる音楽物語「佐治谷ばなし」
(企画:鳥取県佐治村)

常田富士男と京フィルによる音楽物語「佐治谷ばなし Part2」
(企画:鳥取県佐治村)

「佐治谷ばなし音楽集~常田富士男と京フィルによる音楽物語より~」
(企画:鳥取県佐治村)
 
音楽物語/音楽狂言
「響け佐治谷ばなし Part3」
(企画:鳥取県佐治村)

音楽物語「響け佐治谷ばなし」
(企画:鳥取県佐治村)
 

 

書籍とCDは「因州和紙工房かみんぐさじ」の売店や「まちパル鳥取 鳥取市ふるさと物産館」で販売してます。

 

 

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教育委員会事務局佐治町分室
電話番号:0858-88-0218
FAX番号:0858-88-0219

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