池田家ゆかりの地/姫路・岡山・鳥取

三都市の歴史的な結びつきは深く、江戸時代の池田家(岡山系・鳥取系)の国替えなどにより、家臣、商人も含めた人的移動など幅広く交流が行われてきました。


1600(慶長5)年 池田輝政が関が原の戦いの後、播磨国52万石を与えられ姫路城に入った。池田輝政の弟である池田長吉が鳥取6万石城主となる。
1613(慶長18)年 池田輝政死去により池田利隆が姫路藩(39万石)を相続する。
1615(元和元)年 池田忠雄が淡路6万石から岡山に転封され岡山31万5千石の藩主となる。
1617(元和3)年 池田光政が姫路より鳥取に転封され鳥取32万石の藩主となる。
1632(寛永9)年 池田光政は、鳥取より岡山に転封され岡山32万5千石の藩主となり、池田光仲が岡山より鳥取に転封され鳥取32万石の城主となる。
  
  

池田家系図(抜粋)

  

姫路城/姫路市

  

姫路城「西国将軍」と呼ばれた池田輝政は1601(慶長6)年から8年の歳月を費やし、豊かな財力により城を改修。
白亜の名城とも呼ばれる連立式の天守閣群とともに、大天守を中心とした内曲輪、中曲輪、外曲輪を左回りのらせん状に配置し、江戸城にも匹敵する縄張りを完成させました。



岡山後楽園/岡山市

  

岡山後楽園日本3名園の1つで岡山藩主・池田綱政が家臣の津田永忠に命じてつくらせ、1700(元禄13)年に14年の歳月をかけて完成。当時としては珍しく、芝生を大胆に取り入れた回遊式の大名庭園で、かつては藩主の静養と賓客接待の場として使用されていました。



池田家墓所/鳥取市

  

池田家墓所国替えで岡山から転封となった初代鳥取藩主・池田光仲から11代藩主・慶栄までの歴代藩主のほか親族の墓碑が260余りの灯篭とともに整然と立ちならんでいます。



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