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宿場町として栄えた青谷の潮津(うしおづ)

ページID:0007157 更新日:2025年10月20日更新 印刷ページ表示

宿場町として栄えた青谷の潮津村を訪ねて

 青谷町青谷は、明治時代のはじめに合併される前は、青屋村、芦崎村、潮津村に分かれていました。この中で、潮津村は、山陰道(伯耆往来)の宿場町で、宿駅(飛脚の中継所)が置かれ、まちなかを東西に走る「中町通り(山陰道)」には商家や旅籠(はたご)が建ち並び、大勢の旅人などでにぎわいました。その後、明治から大正にかけては、郵便局や銀行、駐在所なども置かれ、青谷の中心でした。

 なお、明治後期に山陰本線青谷駅ができてからは、次第に駅前の方に中心が移って行きました。

青谷の潮津村の画像

山名家の画像

山名家 屋号は亀屋 元廻船問屋 建物は江戸後期の建築

潮津神社(うしおづじんじゃ)

 中町通りの東端に面する潮津神社は、もと王子権現(おうじごんげん)と呼ばれ、潮津村の氏神です。大国主命(おおくにぬしのみこと)と八上姫(やがみひめ)をまつり、明治元年に稲生大明神(いなおだいみょうじん)と菅原道真(すがわらのみちざね)も合わせてまつっています。境内には、天保6年(1835)、慶応2年(1866)作の灯ろうと、海石を台座にしたみごとなつくりの安政4年(1857)石工川六(いしくかわろく)作のこま犬があります。

潮津神社の画像

石工川六作こま犬の画像

石工川六作 こま犬 安政4年(1857)

 なお、江戸時代、潮津神社向かいの山名家の角に、藩の制札場(せいさつば)が設けられ、藩の掟(おきて)やくらしの心得などが示されました。また、山陰道は、神社の東角で北に曲がり、背後の砂丘を突き抜けて口堤谷(くちつつみだに)(緑町北側)に向かい、長尾坂へと差し掛かります。