本文

露も七度秋津州の袖 青車
遠山の遠くあしらふ濤の音 有隣
この句は歌仙(三十六の連句)であるため、これだけみても意味が不明であるが、青車の前句は「文ひろげおもひ合はすや千代根草 青千」である。即ち前句「千代根草」を「露」で受け、「七度」は師の七回忌、「秋津州」は日本の国、「袖」は領袖(人々の頭)の意であろうか。師の追慕の句である。
青車と有隣は宝暦、明和(一七六四~一七七二)の頃の用瀬の人で、岡山県勝山の俳人景山青千の弟子であった。青千の師の松木淡々(大阪)の七回忌にあたって、書牘を埋めてその上に文塚を建て、記念句集「文塚集」を出版した。青車と有隣の名はその中に見え、因幡ではこの二人の名しか見当たらないので、二人が因幡地方に蕉風をもたらした草分けと言えまいか。
用瀬の芭蕉句碑の建立が寛政九年(一七九七)で、前述の文塚集出版からちょうど三十年後にあたる。二人が句碑建立に関係していたかどうか?言えなくもない年月である。なお蕉風の系譜は次のとおりである
芭蕉―其角―松木淡々―景山青千―青車・有隣
[建立場所]旧用瀬町立図書館前庭
[建立年月]昭和六十年(一九八五)十一月
[建立者]用瀬文学碑建設の会
[揮毫者]有本瞳日月
[寸法]高さ一二四 横幅一九九 厚さ五十九 cm