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用瀬文学の小径 茶揉み唄の碑について

ページID:0006890 更新日:2025年10月20日更新 印刷ページ表示

茶揉み唄の碑

 用瀬のお茶は亀屋四三郎氏の非常な努力によって、藩政時代中期から明治にかけて隆盛をみた。それまで自家用の番茶程度しか作られていなかったものを、用瀬が茶の栽培に適した土地であることを見抜き、栽培を大いに奨励し、また宇治のお茶師をたびたび招いて煎茶製造の方法の伝授を受け、あるいは神戸港に至って外商につき、輸出の販路を開くなど、製茶の一部始終にわたって私財を注ぎこみ力を尽くした。
 明治の初めの最盛期には、お茶の製造所二十余軒。時期になると町に茶を積んだ荷車が行き交い、茶を蒸す香りが町中に満ちた。
 お茶師の仕事は蒸した葉をホイロ(焙炉)に入れ、手で揉みながら乾かしたもので、揉む作業が重労働だったため、周りの選子(葉を選別する婦女子)が歌を唄って威勢をつけたという。
 なお明治二十五年、時の政府は亀屋四郎三郎氏に緑綬褒章を贈りその功を称えた。

【建立場所】愛宕山公園山道
【建立年月】昭和六十年(一九八五)四月
【建立者】用瀬文学碑建設の会
【寸法】高さ一二一 横幅一一一 厚さ七二 cm


歌碑・句碑詳細