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用瀬文学の小径 はねそ音頭の碑について

ページID:0006894 更新日:2025年10月20日更新 印刷ページ表示

はねそ音頭の碑(1)

 はねそ踊りの用瀬に古くから伝わる盆踊りで、景石城の落城にまつわる物語を秘めた、鎮魂の踊りといわれる。時は戦国時代、盆踊りに土地の人が打ち講じている輪の中に、黒装束の異様な集団が混じって踊りはじめ、やがてみんなが見とれている内に、やがて城に火の手が上がり、落城の憂き目を見たという。踊りの身振り手振りに武士の物腰が残っているともいう。
 踊りの物語には似た話が多いが、それはともかく、天正九年(一五八一)に豊臣秀吉配下の武将磯部兵部大輔が景石城主となってから二十余年の間に、城下町としての用瀬の街並みが整備され、それは江戸時代になって宿場町として更なる発展を遂げるのである。いわば近世の町としての基盤を築いた磯部兵部こそ、用瀬にとって恩人といえまいか。碑は盆踊りにゆかりの深い正覚寺境内に建てられた。

【建立場所】正覚寺境内
【建立年月】昭和五十九年(一九八四)七月
【建立者】用瀬文学碑建設の会
【寸法】高さ一一二 横幅一四〇 厚さ五八cm


歌碑・句碑詳細