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用瀬の町の東を、屏風のように山々が取り囲み、松の緑が美しいが、用瀬の土質が松にあっているといわれる。昭和三十年代にはこの山に植林作業が展開され、また殖林後三年ばかりは下刈り作業を必要としたが、これら一連の労働がすべて住民(財産区民)の手によってなされた。
掲出の短歌は昭和四十七年の宮中歌会始め詠進歌に佳作入選したもので、御題は「山」である。この歌が生まれるには、用瀬のこうした時代背景があったのである。
山崎秀雄は明治三十八年鳥取市下味野に生まれ、のち結婚して用瀬町民となった。大正十四年に鳥取県立師範学校を卒業、以来昭和三十六年までに八頭郡内の小学校を訓導、校長として歴任し、また昭和三十八年から三年間を町の教育長として、学校教育及び社会教育を指導した。秀穂は雅号である。
【建立場所】農免農道城山団地入口
【建立年月】昭和五十九年(一九八四年)七月
【建立者】用瀬文学碑建設の会
【寸 法】高さ一九六、横幅七八、厚さ四一