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流しびなの民俗

ページID:0039743 更新日:2026年4月9日更新 印刷ページ表示

 用瀬の流しびなは、1985年には県無形民俗文化財に指定、2021年には文化庁の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択されており、私たちの生活文化を知る上で重要なものとして認定されています。このページでは、「用瀬の流しびな」がどのような民俗文化を持っているのかを解説します。

1.行事の日程ついて

 「用瀬の流しびな」は毎年旧暦3月3日に行われます。ひな祭りの一環で行われる性質上、女児とその家族を中心に行われてきました。夕方になると三々五々、千代川に訪れて流しびなを流しました。近年では、老若男女を問わず流しびなを行っています。かつて、鳥取県東部で広く行われていた際は、3日の夕方に限定されたものではなかったようです。用瀬町の隣の佐治町では4日の朝に流しびなを行ったという記録が残っています(坂田1995)。用瀬町内の古老によると、子どもの頃は大善寺の鐘が15時に『ゴーンとるのを合図に』流しに行ったといいますが、いつしか鐘は鳴らされなくなったといいます。現在の行事では、午後に時間を決めて流す姿がありますが、用瀬地区の方々は、観光客がいなくなった後に流しに行く姿も見られます。

旧暦3月3日の意味

 旧暦3月3日には、重要な意味が込められています。民俗学者の折口信夫(1976)は、上巳の節句に人形流しやのちのひな祭りにつながっていく意味について以下のように述べています。

 

三月の上巳の日は大潮の日で、この日は昔は禊ぎの日でありました。(中略)始終人間の側において、その家の穢れを吸ひとつてくれてゐる人形(その他いろんな形のもの)を捨てる日が、先に言つた三月三日の上巳の節供であります。(中略)三月三日に雛祭りするやうになつたのは、三月三日は大潮であつて、穢れたものを川へ流すと、それが海へ流れ出て、恰度大潮である海の水が、その穢れを遠いところへ持つて行つてくれるという考えからでありませう。

 

ヨイゼック

 また、3月3日のひな祭りの前日である3月2日には「ヨイゼック」が行われていたという語りも残されています。

 

オヒナサンを各家庭にこさえて、ヒナダンにダイリビナを並べて、3月の2日にヨイゼック、3月3日がヒナのおまつりで、ごちそうを供えるんだな。(それで)ヨイに、ヒナアラシといって、ごちそうをみなで食べる。それから、今度はヒナオクリと、ヒナアラシの後にヒナナガシということになる。(野地1988)

 

 近年は、ヨイゼックを行う家庭はほとんどないと思われますが、旧暦3月2日にイベントを行う際には「前夜祭」と呼ぶなどして行事を楽しんでいます。

 

2.行事の意味合いや信仰について

 ここからは、「用瀬の流しびな」がどのように行われているのかについて述べたいと思います。
 

一年のサイクル

 まず、流しびなと暮らす1年の流れについてです。元来用瀬では、女児が生まれた家庭が初節句の際に流しびなを2対準備し、1対はその年に流し、もう1対は家庭で保管し、翌年の3月3日に川へ流したようです。1年間をともに過ごし、災厄を雛に移したものを流します。各家庭での、保管方法は異なり、玄関や神棚に飾ったり、ひな人形を片づけるときに一緒に片づけ、翌年ひな人形と一緒に出し3月3日に流したりします。近年でも、その年に入手したものは家で保管して、古いものを流すようにしている方も多くおられます。

多様な願い事

 次に、流しびなに対する願い事についてです。一般的には無病息災や子どもの健やかな成長を願うと言われており、文献にも様々な記述が残されています。『家族に病人などが出た時、その体になでつけて流すふうがあった』(鳥取県教育委員会1982)とか、『とくに卒倒した急病人に流しびなを抱かせると、全快が早いといわれている』(萩原1972)などです。

 一方、近年では願い事も多様化し、人それぞれの願いを込めて流します。「お雛さまにまつわるエッセイコンテスト」の入選作をまとめた『ひなエッセイ』(お雛さまにまつわるエッセイコンテスト実行委員会2004)には、「将来の夢がかなうように」とか、「離れ離れになった友達に会いたい」「受験がうまくいくように」といった、子どもたちの等身大の願いも多数記されています。

お産や水子にまつわるものも報告されています。民俗調査の中にも記述があります。

 

 サンダワラっていうことは、お産を型どって、女の大厄をとりのけてもらうような願いをこめて。お産をするときに、今みたいな楽なお産でない、サンダワラを尻の下にひいて、そうしてお産をしよったわけです。そして藁を33把背なにして、それにもたれておってお産しよった。それを一日に一把ずつひきぬいてね(野地1988)

 

 いざ出産となると納戸の畳を起こして、代わりに蓑・むしろ・ボロ布などを敷いて出産した。藁33束を背もたれにしての坐産だった。(中略)出産後も坐ったままで寝るが、一日一束づつ背もたれの藁を抜くので産後33日目には完全に横になって寝ることができた。(川上1988)

 

 また、水子があった家庭では、『水垢離をとり、ひたすら罪障消滅を願ってから雛流しの儀式に取り掛かる親たちもいた。』(中島1976)という報告なされています。坂田(1995)は、婦人病平癒を願って淡島願人が進行を広めたとされる淡島信仰との関連を指摘し、『用瀬町美成では、流しびなは竜宮まで流れて行くが、その竜宮の神さんは淡島さんだといっている』と報告しています。

3.紙雛について

 「用瀬の流しびな」で用いられる紙雛の特徴について記します。「国指定文化財等データベース」にはこのように記載されています。

 

雛人形は、男女一対の小さな紙雛で、立ち雛の形式をとる。人形は、丸めた粘土に胡粉を塗り、髪と顔を描いて頭部を作り、これに竹ひごを差して、梅鉢の紋様を描いた赤色の紙の着物を着せたものである。男雛には金色の袴、女雛には金色の帯を付ける。

 

 現在でも、男女一対が基本的な形ですが、坂田(1995)の報告によると『用瀬町川中の某家では、家の女の数だけ求めたというし、八頭郡佐治村尾際には、家の女のそれぞれの歳の数だけ揃えて流したという家も』あったとされます。かつては、家庭によって異なっていたと考えることもできます。

流しびなのお供えもの

 お供え物にも特徴があります。用瀬では、桟俵に向かって右に男雛、左に女雛を置きます。そして、菱餅やおいり(糯米や玄米を炒って飴で固めた菓子)、桃の小枝、菜の花、椿の花などを添えます。線香やロウソクを桟俵に供えたり、岸辺に線香を立てる方もおられます。

 

4.サンダワラについて

 流しびなといえば、サンダワラに乗せる風景が有名です。サンダワラとは、一般的には米俵のふたに使われていた藁製のお皿のようなものです。用瀬町金屋集落では、『朝仕事で作った「さんだわら」にご馳走と用瀬から買ってきた雛人形・柳や桃の花をのせて千代川に流した』(八頭郷土文化研究会1996)という記録が残っています。

 一方で、用瀬地区は商業の町として発展しており、農家は少ないため、手仕事としてサンダワラを作っていたわけではありませんでした。米俵や炭俵、梱包材代わりに使われたサンダワラなど家庭にあった場合はサンダワラは用いられましたが、ない場合は菓子箱のような箱に紙雛をのせて流したと言われています。

空き箱に入れて流した

 サンダワラではなく、箱に入れて流したという語りは、古老たちから多く聞かれます。ある古老は、「一文ローソク」や「ダルマ糸」などの生活用品の空き箱を利用したと述べています。また、別の古老は、幼いころは基本的には「紙の箱」に入れて流していましたが、サンダワラ一色になっていったのは1960年代以降の全国的に注目され始めてからだと述べています。一説には、当時の婦人会会長がサンダワラに乗せて流す提案をしたと言われていますが(岸本2023)、詳細は詳らかではないようです。鳥取の市街地で流しびな製作を行っていた民芸作家の田中達之助による流しびなは、「おしき」という木でできたお皿のような箱に乗せられており、流しびなの流し方には多様な姿があったものと考えられます。

 

5.「ひな荒らし」について

 用瀬のひな祭りの民俗には「ひな荒らし」という風習がありました。節句の日には近所の子ども達や親類を自宅に招き、ご馳走を振る舞いました。各家庭の雛壇に供えられたお菓子や供え物を食べ荒らすことからこの名になったと言います。元来、初節句の女児がいる家庭で行われていた行事で、昭和30年代ごろまでは行われていたと記憶する方がおられますが、近年は行われなくなっているようです。当時を知る方は、貧しい家庭が多い中で、ひな荒らしに呼ばれたときは「うれしくて飛んで行きよった」そうです。そして、この雛あらしが終わった夕方ごろになるとみなが連れだって、流し雛に向かったようです。

 流しびなと同様に、雛飾りにも多様なお供え物をします。白酒や菱餅、巻きずし、クワイやタニシの煮物、カレイの一夜干し、あられ、わけぎの酢の物など家庭によっても異なります。その中でもタニシは典型的で、姫様が耳と替えてでもよいからタニシが食べたいと言ったからだと言われ、どの家でも供えたと言われています。子どもの頃に近所の田んぼでタニシを取ったという方もおられます。

 

参考文献

お雛さまにまつわるエッセイコンテスト実行委員会『ひなエッセイ』2004年

折口信夫『折口信夫全集第十七巻藝能史篇1』1976年中央公論社

​川上廸彦『11.産育と婚姻』(坂田友宏編『千代川流域の民俗』1988年に収録)​

岸本修『「流しびなと言えば用瀬」となるまで』(日本海新聞2023年4月18日)

坂田友宏『因幡の雛送りノート』(山陰民俗学会編『山陰民俗業書7年中行事』1995年島根日日新聞社)

坂田友宏『-因幡・伯耆の民俗学研究-神◆鬼◆墓』1995年今井書店

​鳥取県教育委員会『鳥取県民俗地図-鳥取県民俗文化財分布調査報告書-』1982年

中島敏行「人形風土記-鳥取流しびな」『世界の人形・日本の人形』102~103ページ、1976年読売新聞社

​野地恒有『5.職人・年中行事』(坂田友宏編『千代川流域の民俗』1988年に収録)​

萩原龍夫(監修)『日本の祭り一〇〇選』1972年秋田書店

八頭郷土文化研究会『新編八頭郡誌九巻八頭郡のくらしと民俗』1996年

『国指定文化財等データベース用瀬の流しびな』
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/312/00001002​

(文責・地域おこし協力隊 堺泰樹)

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