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鳥取市用瀬町の流しびな以外にも、全国的に流しびなが行なわれています。和歌山県加太市の淡島神社をはじめ神社が主催するものもあれば、地域住民が主体となっておこなわれるものもあります。伝統的に古くから行われている地域もあれば、戦後の地域活性化の取り組みとして新たに始めた地域もたくさんあるようです。
そのため、日程も様々で旧暦3月3日に行う地域もあれば、旧暦3月3日付近の休日や新暦3月3日付近に開催する地域もあります。近年では、複数日にまたがって地域を盛り上げるイベントも多く新たなイベントの中心に流しびなやひな祭りが用いられています。流しびなの形式も様々で、紙雛の形も地域によって異なります。紙雛を乗せるものも船の形をしているものもあれば、桟俵や紙皿のようなものに乗せる地域もみられます。新しく始める地域では、水に溶ける紙を使用した紙雛を流す方法も取っているところもあります。
民俗学者の坂田友宏(1995)によると、西日本を中心とした全国34か所では伝統的に3月節句で流しびなが行なわれていたことがわかっています。しかし、こうした伝統的なものとして現在も流しびなが行なわれている地域はとても珍しいものだと言われています。そこで、2026年に行われた流しびなの事例を、インターネット上での情報を基に調査したたところ、30か所で流しびなが行なわれていることが確認できました。検索ワードを「流しびな」「ひな流し」など少しづつ変えながら各種報道などを中心に参照しました。より詳細に調査を行うと他にも実施地域があるだろうと推測されます。
※2026年4月現在、全国で実施される流しびな情報 全国の流しびな [PDFファイル/725KB]
この調査を行いここで注目したいことは、ほとんどの地域では地域の歴史とは別のものとして、地域振興等を理由にして新しく始めているということです。坂田(1995)の調査で流しびなの文化があったとされた地域のほとんどで現在は流しびなを行っていないようでした。鳥取市用瀬町の流しびな<外部リンク>や長野県北相木村の「家難祓(カナンバレ)」<外部リンク>、笠岡市北木島の流しびな<外部リンク>など一部伝統的に続いているものもありますが、これらは珍しいケースで、江戸時代や少なくとも戦前から続いている地域は、今回わかった30か所の内の7か所でした。その他の地域は開催年がわからないものか、1960年代以降に始まったという記述があるものでした。2000年代以降に初めた地域も5か所ありました。この多くが、地域のひな祭りイベントの一環として流しびなを取り入れているようでした。
全国的に流しびなが有名な淡島神社が、流しびなを始めたのも1962年のようですし(参照「和歌山県ふるさとアーカイブ」)<外部リンク>、同じく横須賀市の淡島神社の流しびなも1990年に開始されたようです。
その他、様々な地域で地域振興を目的に流しびなを初めているようです。その中でも、いくつかの地域で用瀬の流しびな行事を参考にしているようです。用瀬の古老によると、兵庫県龍野市や東京都隅田川の流しびななどは、視察の際に行政担当者や流しびなの製作グループを訪ねたと述べている他、島根県安来市広瀬地区の流しびなは、『用瀬の伝統行事を見習』ったとされています(参照「山陰中央新報」)<外部リンク>。
こうした新しい流しびなの広まりは、『流し雛ブーム』(皆川2015)と呼ばれ批判的に言及されることもあります。皆川(2015)は、流しびなの起源は淡島信仰であるとし、今まで『女性たちの婦人病の厄難を祓うことを祈念した密やかな行動であった』ものが、現代では『古雛を始末するのに困った都会の人々』が本来なら寺社で供養するものを川に流し、「捨て雛」をするようになっていると述べています。
しかし、現代の流しびなにおいて、実際にどれほどの古雛が流されているのかはよくわかっていません。また、江戸時代からも供養のために川に流すことは行われていたことを鑑みると、川に流すことよりもお焚き上げが上位ということもないでしょう。
また、こうした『流し雛ブーム』批判は、流しびなの起源が平安時代の人形流しにあり、流しびなは雛人形の原型だとする俗説に対する問題意識も含んでいるように見受けられます。ただ、別項(「流しびなの起源」)にも述べた通り、流しびなの起源を淡島信仰のみに還元することは難しいと考えられ、丁寧な議論を要するものと思われます。
坂田友宏『因幡の雛送りノート』(山陰民俗学会編『山陰民俗業書7年中行事』1995年島根日日新聞社)
皆川美恵子『雛の誕生―雛節句に込められた対の豊穣』2015年春風社
(文責・地域おこし協力隊 堺泰樹)